クラシカルな性質を持った娯楽映画『ケイト』 アメリカ映画における日本文化の描き方を考察
東京を舞台に、日本のヤクザと外国出身の暗殺者ケイトとの戦いを描く、Netflix配信のアクション作品『ケイト』。アメリカ映画でありながら、國村隼、浅野忠信、MIYAVIが出演していることで、日本でも話題となっている。
多方面から指摘されているように、その珍妙な日本の描き方の面白さも、本作の魅力の一部だといえよう。ここでは、そんなアメリカ映画における日本文化の描き方を中心に、本作の特徴と、異文化を描く映画の今後について考えていきたい。
本作の物語は、メアリー・エリザベス・ウィンステッドが演じる殺し屋のケイトが、毒を盛られて余命24時間と宣告され、その犯人と目的を、ヤクザの娘と助け合いながら捜査していくというもの。この、毒を盛った相手を自ら探し出すという筋立ては、アメリカのノワール映画『都会の牙』(1949年)、もしくはそのリメイク作からインスパイアされたものだろう。
日本の「ヤクザ」は何度となくアメリカ映画の題材になっている。シドニー・ポラック監督『ザ・ヤクザ』(1974年)や、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)に代表されるように、東洋のギャング映画は、エキゾチックな印象とバイオレンスな表現が誇張されることで、アメリカの観客に楽しまれてきた。本作もまた、その系譜に連なるものであることは間違いない。
作品によってヤクザの描き方や、リアリティの程度は様々だが、本作『ケイト』の特徴的なところは、2010年代にアメリカで原宿ファッションが流行った頃の、おもちゃ箱のような奇妙な日本の都市風景が、かなり強いイメージとして残存しているという点だ。
実際、本作の冒頭では、2010年代の後半に出現した、性風俗店の求人情報サイトをポップな歌とイラストで宣伝する、通称「バニラトラック」が登場する。しかも、それがなぜか大阪の港湾地区を、爆音で曲を流しながら疾走しているのだ。じつはこの車、“偽”バニラトラックであり、その中にはケイトと、彼女を殺し屋に育てた師匠(ウディ・ハレルソン)が乗っていて、暗殺任務が待つ目的地へと向かっていたのである。
しかし、性風俗関係の宣伝カーとなれば、他の車両に比べて警察に止められるケースは多いのではないだろうか。さらにそれが人のほとんどいない港湾地区を宣伝しながら走っているというのは、いくらなんでも怪し過ぎるだろう。にもかかわらず、この二人が完璧な偽装をしていると思い込んでいる姿には、思わず笑ってしまう。
ケイトが追っ手から逃れるためにたまたま奪った乗用車が、ピンクのネオンに輝くカスタムカーで、市街地を猛スピードでドライビングする見せ場も、日本文化におけるポップさの強調となっている。ここで流れるのが、配信アルバム『CONQUEROR』がビルボードのワールドアルバム・チャートにランクインした、メイド姿の女性たちによるロックバンド、BAND-MAIDの曲であることも象徴的だろう。さらに本作はOOIOO、大原櫻子、MoNa a.k.a Sad Girlなどの楽曲を使用することで、日本の各音楽ジャンルにおける現在の女性アーティストたちの紹介もしている。
ここに異なるジャンルを並べてみせることで、作り手が提供しているのは、本作が女性の戦いを描く映画であるという主張と同時に、2010年代にアメリカで求められた「Kawaii」ブームを下敷きに、その延長としての文脈での文化紹介でもあると考えられる。逆をいえば、それは「Kawaii」ブーム後、異なる方面からの新しい文化的な流れを、近年の日本文化がアメリカに発信できていないということなのかもしれない。その一方で、日本のアニメーションの、キッチュなファッションへの転用や「シティポップ」の見直しなど、より近年になって海外が発見した日本文化の楽しみ方は、ここでは触れられていないようである。
かくして、本作はステレオタイプといえるバイオレントなヤクザのイメージと、ミク・マルティノー演じるハイティーンの日本の少女に表現させるポップなイメージ、東洋の街のさびれた奇妙な雰囲気を共存させたものとなった。そして、それらの象徴となっているのが冒頭の「バニラトラック」でもあったともいえよう。その意味では、本作は荒唐無稽な描写が続きながらも、日本の実像に近いものを表現しているといえなくもない。