『おかえりモネ』の舞台装置を繋ぐのは“水”? “出会い”の場所がコインランドリーの理由

 清原果耶演じるヒロイン・永浦百音が育った「海」気仙沼編と「山」で働く登米編を交互に描くことで百音の心の揺れを丁寧に描いてきた朝ドラ『おかえりモネ』(NHK総合)。第10週からの東京編は、言ってみれば「風を待つ」物語である。その「風」は、時に、車いすマラソンの選手である鮫島(菅原小春)を奮起させ、勝利に導く。その一方で、百音の大切な人たちの住む地域の安全を脅かすものでもある。どちらの「風」に対しても、百音ら気象予報士たちは、より正確で最適な情報を提供するため、ただ、待ち続けている。できうる限りのことをした上で。

 その東京編のど真ん中に、菜津(マイコ)が営む、百音の住む銭湯兼シェアハウスがある。そこがなんとも居心地がいい。人々が自由に行き交う、不思議な空間となっている。「空も山も海も全部水で繋がっている」という朝岡(西島秀俊)の言葉、菅波(坂口健太郎)が言っていたタレスの「世界の全ての根源は水である」という言葉からもわかるように、このドラマの舞台装置全てを繋ぐのは「水」である。気仙沼の海と登米の山を「水」が繋ぎ、百音は船で「水」の流れに乗って上京し、行き着いた先には、「銭湯」という水が集まり、人が集う空間がある。

 外観は完全なる老舗の銭湯「汐見湯」であるシェアハウス。興味深いのは、どこまでいっても建物全体の構造が掴めないことである。東京編が始まってしばらくしてひょっこり姿を現した菜津の祖父母(沼田爆、大西多摩恵)、さらには物音と達筆な字だけでその存在を示す「いい人」宇田川。祖父母のゆったりとした漫才のような会話からは「また徘徊していると思われてとっつかまる」だのなんだのとなかなか物騒でシビアなワードが登場し、30歳は越えているだろうという「部屋から出てこないだけ」の宇田川は、要はひきこもりである。

 薄っすらと呈示される社会問題はここかしこに存在し、「銭湯」という空間と、菜津という、たおやかでありながら、芯の強さをも感じさせる存在が、その全てをおおらかに受け入れると共に、外敵から彼らを守っているかのようだ。

 銭湯に隣接されたコインランドリーでは、洗濯機がぐるぐると水を回している。洗濯機といえば、本作におけるヒロイン登場の場面である。百音は、登米のサヤカ(夏木マリ)の家で、洗濯機の中で弧を描く水をぐるぐると指で追いかけていた。コインランドリーはそれだけで、百音の紡ぐ「水」の物語を繋ぎ、「まるで別世界」の東京と登米を繋ぐ。そしてそこが、「1300万分の2」の確立でしか出会えないはずだった、仕事のため東京と登米を行き来する日々を送っている菅波と、百音の再会の場となり、心をせ通わせ、互いの思いを打ち明ける場となっているのが興味深い。

 菜津の祖父が倒れ、百音がもしやと思いコインランドリーに繋がる扉を開けたら菅波がいたり、登米と東京で、電話を通してもどかしい会話をしていると思ったら、少しの間を置いた次の場面では、銭湯の待合室で菅波が頼まれて店番をしていたり。まるで銭湯・コインランドリーが、登米と東京を繋ぐ「どこでもドア」と化しているかのような具合である。

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