『竜とそばかすの姫』に刻まれる佐々木昭一郎の影響 映画史的記憶を引き継ぐ俳優の起用も

設定だけでは映画ではない

 こうして佐々木作品の影響を見ていくと、不満も生まれてくる。音への感応が画面から漲っていた『四季・ユートピアノ』などと比較せざるを得ない作りになっているだけに、本作の音の描写が説明に終始しているのが物足りなく感じるのである。鈴は幼い頃から音楽好きの母の影響を受けている。ピアノのアプリを入れてもらい、音に親しむようになるが、母が音楽に通じている点も、鈴が音を発見していくくだりも、わずかな描写のみで、しかもBGMで現実音をかき消して見せるだけでは伝わってこない。彼女が作曲の能力を持つことも説明として提示されるだけで、川や自然の音に感応することもない。〈U〉で歌姫になるくだりも、音が生まれていく過程が圧倒的に不足しているのだ。

 母の死によって鈴が歌えなくなったという設定も、カラオケで拒絶するくだりと、橋の上で歌おうとして嘔吐するくだりが記号的に存在するだけで、彼女の日常生活から音への憧憬がまるで感じられない。同級生で人気者のルカちゃんに対する鈴の感情にしても、彼女が吹奏楽部で音を自由に奏でていることに最も大きな憧れを持たなければならないはずだが見えてこない。


 インターネット空間の〈U〉は映像的な完成度は見事だが、視覚が制御化におかれて身体が一体感を持つというシステムへの言及はほとんどなく、〈U〉の世界もどういう構造になっているのか分からず、設定として提示されたもの以上の奥行きを描写で感じることはできない。竜の存在も『美女と野獣』でしかなく、設定がそのまま劇中に配置されているだけに見えてしまう。

 こうした問題は、鈴が母と同じように他者のために動き出すクライマックスでも見られる。ある場所へ向かわなければならなくなるが、コーラスグループの女性に車で駅まで送ってもらい、夜行バスで目的地に向かう。ストーリーの進行としてはそれでいいのだろうが、夜行バスを選ばなければならなかった時間的な問題や、金銭的な問題などをすっ飛ばして、記号としての移動しか描かれないので、急いでいたわりに、ノンビリしているなと思ってしまう。現地にたどり着いても、それまでのネットを駆使した捜査力は無くなり、それはいいとしても“探す”という行為は描写として深められることもない。ついでに言えば、終盤で鈴の顔に大きな傷がついていても、父も同級生の男たちも何も触れないのは、本作が古典的な父子の距離や、男女の恋愛を描こうという意図があるならば、〈女の子の顔がキズモノにされた〉というのに、ここだけ何も触れないのは不自然ではないか。

 もちろん、全てが理詰めである必要などない。以前、公開講座で脚本家の奥寺佐渡子氏に話を訊いたとき、細田監督版『時をかける少女』の脚本作りについて、最初は整合性をつけようとしていたが、それではちっとも面白くならず、理路整然とした作劇にするのではなく、気持ちで行ける部分は気持ちで行こうと判断するまでが長くかかったと語っていた。まさに『時かけ』は理詰めと情感の絶妙な配分によって傑作になったと思わせたが、奥寺氏によると、『サマーウォーズ』以降は、細田監督によるプロットをもとに長いディスカッションを経て脚本にするということだったが、その奥寺氏も、『バケモノの子』への脚本協力を最後に、細田作品からは離れている。

 近年、押井守、庵野秀明もそうだが、かつては脚本家と組んでいたアニメーション監督たちが、単独で脚本を書くことが増えている。原作ものを吉田玲子、奥寺佐渡子といった優れた脚本家と共に脚色し、見事な秀作を作っていた細田守が、オリジナル企画で自ら脚本を書くことに固執するのは、近作を見る限り疑問を感じざるを得ない。それでも映像の完成度は高く、本作の興行収入は『バケモノの子』(最終興収58.5億円)を上回るペースでヒットしており、自己ベスト更新が見込まれていることから、今後もこうした作り方は踏襲されるだろう。

■公開情報
『竜とそばかすの姫』
全国東宝系にて公開中
監督・脚本・原作:細田守
声の出演:中村佳穂、成田凌、染谷将太、玉城ティナ、幾田りら、森川智之、津田健次郎、小山茉美、宮野真守、役所広司ほか
企画・制作:スタジオ地図
製作幹事:スタジオ地図有限責任事業組合(LLP)・日本テレビ放送網共同幹事
配給:東宝
(c)2021 スタジオ地図
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