日本のアニメ界の常識から外れた冒険的作品 『サイダーのように言葉が湧き上がる』の驚き

 かつて宮崎駿は、スタジオジブリのスタッフの熟達した職人的な技術が活かされた自分のアニメーション作品の絵柄を「ポンチ絵」と卑下したことがある。その発言が出たのは、いくら背景をリッチにしたところで、キャラクターの動画をペタっとした色合いで表現しなければならないという、これまでの日本のアニメーションの製作に、必ずついてまわっていた宿命的な制約に対する不満からだ。短編映画『毛虫のボロ』(2018年)を、当初は全編CGを利用して製作しようとしていたのは、この限界を突破したかったからだろう。

 現在の日本のアニメーションの多くは、背景を写真から起こしたようなリアルな画風で描くのが主流だが、その方法をとった場合、キャラクターの絵柄が単純であるほど、その差異は顕著となる。詳細に描き込まれた背景は、けっして動かないことを、アニメーションに慣れた観客は知っている。そのようなアニメーションにおける背景は、リッチであるほど、演劇における記号的な“書き割り”と同じものに過ぎないと無意識に感じさせてしまうのだ。

 しかし、背景とキャラクターの絵柄の差異の問題は、その両方とも単純な絵柄によって表現されていた、アニメーションの初期には存在しなかった話でもある。例えば、その伝統を引き継いでいる『ザ・シンプソンズ』や『パワーパフガールズ』などのアメリカのアニメーションでは、背景の方をキャラクターのリアリティのレベルに合わせているため、動画と背景がマッチし、むしろ絵を“記号的”なものだと感じさせない豊かを獲得している。そして、よりアーティスティックな印象が強い『ピンクパンサー』などの作品では、エピソードによっては、単純な背景がまさにアートの領域にまで到達し、作品の質を飛躍的に高めていた。

 本作『サイダーのように言葉が湧き上がる』には、日本のアニメーションが当たり前のものだとして、ややもすると形骸化してしまっていた、背景とキャラクターへの根源的な問いへの、一つの答えが提示されている。それは、まさに木版画による浮世絵に代表される、日本人の感性に適した二次元的な充実ともいえるのではないだろうか。日本のアニメーションがこちら側に進化していかなかったことが、むしろ不思議なくらいである。

 そして、そんな本作の“ラディカル”ともいえる取り組みは、劇中で平凡なはずの風景が、俳句の落書きによって印象を変えるように、また少女との邂逅によって日々の意味が変わるように、そして少年がサイダーの入ったペットボトルを通して空を眺めるように、“世界をもう一度新たな目でとらえなおしてみよう”というメッセージに繋がっている。ここでは、そんな物語とヴィジュアルが手を結び、一つの像に結実しているのだ。

 そのテーマは、いつも見慣れていたショッピングモールが、じつはもともとレコード工場であったということが判明する展開とも重ねられている。またそれは同時に、本作がアニメ音楽のレーベルである「フライングドッグ」設立10周年記念作品として製作されている事情にも関係しているだろう。

 とはいえ、本作は出演する人気声優にアニメソングを歌わせるといった企画にはせず、市川染五郎と杉咲花をキャストに迎えたこと、そしてnever young beachが主題歌を担当していることや、意外な大物アーティストが劇中曲を書き下ろして歌っていることで、より音楽や言葉そのものにフォーカスしたものになったといえる。そのセンスは、80年代を想起させる絵柄の懐かしさも相まって、近年海外で盛り上がりを見せた、日本のニューミュージックの再評価とも通底しているように感じられる。

 本作のような冒険的で鮮烈な作品は、業界の慣習や常識のなかで疑問を持たずに仕事をしているクリエイターからは出てくるはずがない。イシグロキョウヘイ監督は、その意味において、美意識やセンスに優れているだけではなく、今後日本のアニメーションを変革し得る才能を持った一人であることを、この一作で証明することになったといえよう。

■公開情報
『サイダーのように言葉が湧き上がる』
全国公開中
出演:市川染五郎、杉咲花、潘めぐみ、花江夏樹、梅原裕一郎、中島愛、諸星すみれ、神谷浩史、坂本真綾、山寺宏一
原作:フライングドッグ
監督:イシグロキョウヘイ
脚本:佐藤大
キャラクターデザイン:愛敬由紀子
音楽:牛尾憲輔
アニメーション制作:シグナル・エムディ×サブリメイション
製作:『サイダーのように言葉が湧き上がる』製作委員会
配給:松竹
(c)2020フライングドッグ/サイダーのように言葉が湧き上がる製作委員会 (c)KAZUMI KURIGAMI
公式サイト:cider-kotoba.jp
公式Twitter:@CiderKotoba

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