キャラ描写×自然な演技による“生っぽさ” 『SSSS.DYNAZENON』の芝居的な面白み

 2018年に放送されたTVアニメ『SSSS.GRIDMAN』から、TVアニメをはじめコミックスやノベライズなど様々なメディアミックスで展開されている「GRIDMAN UNIVERSE」。現在は、ユニバースとしての完全オリジナルアニメーション第2弾『SSSS.DYNAZENON』が放送中で、いよいよ6月18日の第12話で最終回を迎える。今回は、まだ本ユニバース作品に触れようか迷っている方、そして最新話を毎週楽しみにしていたファン両方に向けて、放送中の『SSSS.DYNAZENON』を主軸にしつつ、キャラクター描写やキャストの自然な演技の面から、その唯一無二な“生っぽさ”の魅力を掘り下げていく。

 まずは「GRIDMAN UNIVERSE」の完全オリジナルアニメーションの物語について簡単におさらいする。第1弾『SSSS.GRIDMAN』は、目が覚めると記憶喪失になっていた高校生・響裕太が主人公。裕太はジャンクショップにある古いパソコンに映る「ハイパーエージェント・グリッドマン」から「使命を果たせ」と呼びかけられる。時折現れる怪獣によって日常が蹂躙される世界で、裕太はグリッドマンと合体して戦いながらも高校生活を送り、自身の使命、そして失った記憶を探していく。

 そして現在放送中の第2弾『SSSS.DYNAZENON』は、「怪獣使い」を名乗る謎の男・ガウマが主人公。高校生の麻中蓬は、空腹で行き倒れていたガウマにパンをあげたことで、方々で彼に追いかけられるようになる。二人で会う約束をしていた同級生・南夢芽に蓬がすっぽかされた夜、街に突如怪獣が出現。その時、ガウマの持つ龍の置き物が光り出し、蓬と夢芽たちは巨大ロボット「ダイナゼノン」に呑み込まれてしまう。ガウマ、蓬、夢芽、そしてたまたまその場に居合わせた山中暦、飛鳥川ちせは、バラバラな5人で怪獣の脅威に立ち向かうことに……。

「GRIDMAN UNIVERSE」のアニメの芝居の生っぽさ

 「GRIDMAN UNIVERSE」のアニメ作品の大きな魅力の一つが、芝居の生っぽさだ。会話の中には、一見すると本筋には関係がないように感じてしまうキャラクター同士の雑談や、画面に口の映らないいわゆる“OFF”のシーンも多い。それにより、怪獣や巨大ロボが登場するフィクション作品でありながらも、キャラクターたちが等身大の人間としてリアリティを持って描写されている。

 特に毎話放送の翌日に期間限定で公開される雨宮哲監督書き下ろしのボイスドラマは、物語を補完するエピソードでありつつも、さらに生っぽさが強い。まず、「高校の文化祭に来た母親と口論になる」「実家に泊まりに来た友達が、部屋の電気を消灯した後も自分が寝れないからとずっと話しかけてくる」といったように、エピソードごとに共感性が非常に高い場面設定がなされている。そしてその上で、実際にキャラクターたちの日常の会話を側で聴いているような感覚に陥るほどの、キャストたちの自然な演技で会話劇が展開されていく。

 つまり、「共感性が高い設定・リアリティを織り交ぜた描写」と「キャストの自然な演技」の相乗効果から、「GRIDMAN UNIVERSE」の芝居の生っぽさという魅力が生まれている。

共感性が高い設定・リアリティを織り交ぜた描写

 「GRIDMAN UNIVERSE」のアニメ作品として生っぽさは、キャラクター設定や物語展開の点で、『GRIDMAN』から『DYNAZENON』へその遺伝子が受け継がれつつ、さらに強化されている。『GRIDMAN』は主人公・裕太が記憶喪失のため、なぜか最初から練習せず感覚的にグリッドマンと合体して戦うことができても、その点が謎となる。物語が進むにつれていくつもの謎が次第に明らかになっていくことで、視聴者はその世界のことを知らない裕太と気持ちがリンク。物語のテンポ感を崩してしまいがちな説明台詞も少ないため、「裕太と一緒に世界を知っていく」感覚で、作品に没入することができる。

 一方の『DYNAZENON』では、考察要素もあるフィクションとしての面白味という点は踏襲しつつも、絶妙なバランス感覚で共感性の高い要素やリアリティが織り交ぜられている。例えば、裕太が最初からグリッドマンと合体できたのに対し、『DYNAZENON』では、メインキャラクターたちが巨大ロボットの操縦経験がないため、最初から思い通りに動かすことは出来ない。操縦訓練シーンは頻繁に描かれており、上達度合いも物語のテンポを落とさない程度にナチュラルだ。

 また、『GRIDMAN』では、裕太がグリッドマンと合体するために腕につけている「アクセプター」が怪獣の出現を感知してアラートで知らせたのに対し、『DYNAZENON』で怪獣を発見するのは目視やSNSの目撃情報となっていた。加えて、第2話という早い段階で蓬と夢芽が、ダイナゼノンと怪獣の戦闘で倒壊した街の現状を見る、というシーンも入る。つまり、「怪獣や巨大ロボットが存在する世界」というフィクションの中に、「現実世界でもし怪獣が出現したら? 市街地で巨大ロボと戦闘したら?」という要素がより強く問いかけられている。

 キャラクター設定という面でも、両作では明らかに描写しようとするドラマのベースが異なる。『GRIDMAN』では主要キャラは同じクラスの高校生4人。彼らは部活動やアルバイトもしている様子がなく、グリッドマンが映るパソコンの置いてある宝多六花の実家兼ジャンクショップ以外は、それぞれの家庭の描写がされることがほぼない。裕太の両親も長期不在だ。そして視点を「怪獣との戦い」メインに絞ることで、物語の後半からキャラクターたちも自問自答することになる「怪獣との戦いをどこか楽しんでいたのか?」という疑問が、よりインパクトを持つ。

【公式】『SSSS.DYNAZENON 』PV

 一方、『DYNAZENON』では主要キャラ5人が、意図的にそれぞれ異なる事情の設定で描かれており、人間ドラマの面もより強くなっている。まず道端で行き倒れており、敵サイドの「怪獣優生思想」とも浅からぬ因縁がある様子の主人公・ガウマ。一方、もう一人の主人公とも言える蓬は両親が離婚しており、早く自立したいという思いから日々スーパーでアルバイトに勤しんでいる。夢芽は姉の香乃が5年前に他界し、家庭内にもぎこちない雰囲気が漂っている。暦はニートで、親戚の不登校の中学生・ちせと一緒に実家で暮らしているなど、各々が異なる事情を抱えている。話数が進むにつれ、それぞれの過去やトラウマが詳らかにされていくことで、考察要素もある物語により深みを持たせているのだ。

 加えて、それぞれに事情を抱えていながらも、あくまで等身大のキャラクターとして描かれている点も、共感性やリアリティの面で非常に強い要素と言える。ヒロインの夢芽で言えば、彼女は積極的に操縦訓練に参加し、怪獣に立ち向かう姿も見せるものの、一方でビーム攻撃の名称を覚えず「なんとかビーム!」で済ませてしまうという一面も。また第1話で夢芽が、中学からの友人・鳴衣からアドバイスを受けているシーンでは、どこか上の空の様子の夢芽がスマホで自撮りを始め、カメラを向けられた鳴衣も「聞けよ」と言いつつ思わずピースをして表情を作ってしまう。二人の何気ない会話やふざけ合うシーンは、物語を通してしばしば描かれる。そのため、いかにもフィクションで共感性の低い人物像ではなく、こうしたちょっとした言葉や仕草の描写といった積み重ねから「彼女も全てが特別な人物ではなく、等身大の女子高生なんだ」と視聴者に感じさせ、キャラクターたちがその世界の中で実際に生きているという説得力が生まれるのだ。

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