青山はなぜ珈琲の移動販売を始めたのか 『珈琲いかがでしょう』“大切な想い”を繋ぐ一杯

『珈琲いかがでしょう』明かされた青山の過去

「でもね、私あんたのことを今大切に思ってるよ……どうしたね? 怖いのかい?」

 青山(中村倫也)が、なぜ珈琲の移動販売を始めたのか。行く先々で、多くの人の心を救ってきた珈琲を、どのように淹れられるようになったのか。『珈琲いかがでしょう』(テレビ東京系)第6話では、その秘密が明らかにされる。

 語られたのは、青山が人生で初めて誰かに大切にされた思い出だった。自分を大切にされるという経験が、誰かを大切にしたいという願いが、そして日々を大切にできる心の余裕が、珈琲を単純な飲料という概念を超えて、心まで潤すアイテムへと変えるのだ。

美味しい珈琲を淹れたい=味のない生活を変えたい

 ホームレス生活をしている、たこ(光石研)の淹れた珈琲の美味しさが忘れられず、その秘訣を教わろうと、彼のもとを通うことにしたかつての青山。だが、その初回のレッスンは、川のほとりで釣り糸を垂らすことから始まる。

 これのどこが美味しい珈琲の淹れ方に繋がっているのか、さっぱりわからない青山を、たこは「哀れだね〜」と同情する。「珈琲を味わうってことはさ、こうやってのんびりと穏やかなひとときを幸せだなって感じることにも似てるってこと」と言われても、青山は「幸せ?」と、やはりピンとこない。

 青山にとって珈琲は、暴力的な仕事のあとにとりあえず飲むものだった。頭と心を空っぽにして人を殴り続ける時間。そこから少しだけ自分を取り戻すための、儀式のような珈琲だったのかもしれない。しかし、決してのんびりと穏やかなひとときとは言えない空間で、その味は泥のようにまずいものだった。

 青山を兄貴と慕うぺい(磯村勇斗)は、仕事中の青山を「常軌を逸した真っ黒な目」「いろんなもんが欠落している」「何も映らない」と表現した。その瞳から抜け落ちたものは「大切」にするという想いそのものだったのだろう。自分自身のことも、目の前にいる人のことも、大切になんて思っていては、体も心も痛くてやってられないから。

 でも、本当は青山もぺいも、どこかで「大切にされる」「大切にする」関係性への憧れを捨てきれずにいたのではないか。それはぺいが失恋のあとに青山からもらって以来、寂しい気持ちを紛らわすために飴をなめるようになったのもそう。その小さな優しさが嬉しかったから。

 そして2人が食べるホルモンが、もともと「放るもん」として捨てられるものだったという説を聞いて、より食欲が増したのもそう。価値がないと烙印を押されたものでも、こうして活躍できる場があるという希望を感じられたからではないか。

 そして青山にとって、たこの珈琲がこれほど眩しく見えたのは、たこ自身がホームレス、つまり自分と同じように社会から放り出された側の人間だと思ったから。それでも「ゴミでも丁寧に磨けばたいていのものはどうにかなる」と小粋にポップに楽しそうに生きるたこの姿に、自らもこのどうしようもない日々を抜け出すことができるのではないかと、可能性を感じたからに違いない。

 「美味しい」も「幸せ」もわからない日々を変えたい。とっくに諦めていたと思っていた憧れや希望が、あの珈琲を飲んだことで、引き出された。それは「自分の人生を生きたい」という、青山の本能を呼び覚ます1杯だったのだ。

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