継承を巡る物語『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』 さらに先に進んだMCUの姿勢

 “Black Lives Matter”というスローガンは2012年のトレイボン・マーティン射殺事件をキッカケに生まれた。アメリカ国家の黒人に対する構造的差別、人種主義の歴史に対抗するスローガンが新たに更新されても、悲惨な事件は止まることなく、2020年5月25日、ジョージ・フロイドは白人警官に8分46秒間、首を押さえつけられて殺害された。白昼で堂々と行われたこの“殺人事件”は、市民により撮影されソーシャルメディア上で拡散された。

 『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』の劇中で、ファルコンことサム・ウィルソンも「黒人だから」という理由で白人警官からストリートで尋問されてしまう。たとえば、DaBabyが警官に首を押さえつけられながらラップをする「Rockstar feat. Roddy Ricch (BLM Remix)」のパフォーマンス映像、もしくはケンドリック・ラマーが警官に射殺される「Alright」のミュージックビデオ、私の大好きなヒーローたちが「黒人だから」という理由で警官に殺される国がアメリカなのだ。アメリカにとって、私たちのヒーローは、ヒーローである以前に「黒人」なのだ。そのことを痛感させられる映像“作品”を観ることは、ソーシャルメディア上で拡散される映像を見ること以上にショッキングなことが多い。事態の深刻さを作品に落とし込める過程を想像するのは辛く、それがマーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)なら尚更である。

 2019年4月26日にアメリカで『アベンジャーズ/エンドゲーム』が公開、その2日後の4月28日に『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章の第3話「長き夜」が放送される。2010年代を代表する2つの連続シリーズの「最大合戦」が同時期に行われ、2つの“ゲーム”が一区切りを迎えた。『エンドゲーム』を乱暴にまとめてしまえば(『ゲーム・オブ・スローンズ』の問題意識も同じなのだが)ーー20世紀前半の「戦争」を象徴するキャプテン・アメリカと、20世紀後半の「資本主義」を象徴するアイアンマン、20世紀から現在に至るまで続く問題を“大量虐殺”と“歴史の忘却”で解決しようとする「気候変動」のメタファーとしてのサノス、この3名を物語から降ろすことによる“20世紀総括”が『エンドゲーム』だった。私はそれから先、つまりMCUのフェーズ(≒シーズン)4は心機一転、新しい物語が華々しく始まると思っていたが、そんなことはなかった。サノスが独断で強行した政策、つまり「全宇宙の生命を半分消滅させる」ことのバックラッシュは、(当たり前だが)そう簡単に解決できるものではなく、フェーズ4に突入しても物語の中心に大きな問題として横たわる。その光景に2020年の大統領選挙後のアメリカの分断を重ねるのは容易だろう。

 『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』では、サノスの政策の後処理のために、GRC“Global Repatriation Council”(世界再定住評議会)なるものが設立されており、世界の平和のために様々な調整をしている。そんなGRCに反抗し、サノスの政策を支持する一派として現れるのが“フラッグスマッシャーズ”である。彼らはソーシャルメディアで連帯し、GRCによる2000万人の難民を祖国に戻す区画法令の採決を止めるために採決会場を占拠する。このシーンに2021年1月6日に発生したアメリカ連邦議会議事堂の襲撃事件を思い出さずにはいられない。私たちの生きる世界の写し鏡として、本作では様々な正義が救いようのない形でぶつかり合う。

 そもそも、MCUを筆頭にここまでヒーロー映画がエンターテインメントの中心にある状態は、あらゆる人々が正義を掲げぶつかり合う2010年代の社会状況のアナロジーとして、ヒーロー映画(ドラマ)という形式が有効だからである。そんなヒーロー映画が大衆化されている現状へのカウンターとして、ドラマ『ザ・ボーイズ』(2019年〜2020年)、ドラマ『ウォッチメン』(2019年)、DCの映画『ジョーカー』(2019年)、M・ナイト・シャマラン監督のヒーロー映画シリーズ(『アンブレイカブル』、『スプリット』、『ミスター・ガラス』)など、語り口の多様なヒーロー作品が増え続けている。しかし、MCUのスゴさはヒーロー映画ブームの中心にいながら、前述したようなカウンターとしてのヒーロー作品の役目も、自分たちのシリーズの中で完結させている点だ。

 それはたとえば、MCUのフェーズ3の最後を飾る作品『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(2019年)のヴィランがモーションキャプチャー・スーツまんまの身も蓋もない造形で登場して、ヒーロー映画制作とディープフェイクでの世論誘導が隣り合わせであること、まさに「大いなる力には大いなる責任が伴う」ことを描いていたり、フェーズ4の1作目となる『ワンダヴィジョン』(2021年)ではシチュエーション・ コメディが定義してきたアメリカの理想の家族像への批判、さらに主人公のワンダが“スカーレット・ウィッチ”であることから、わざわざ作中で画面が白黒からカラーへと変わる演出で『オズの魔法使』(1939年)を引用し、“There's No Place Like Home.”の先にあった第二次世界大戦と、ハリウッドに殺されたジュディ・ガーランドに言及していたり、MCUは常にヒーロー映画を作ること、大衆に影響を与えることに対して批評的だった。そんなMCUの姿勢は『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』でさらに先に進んだと言えるだろう。本作はこう語りかけてくる。キャプテン・アメリカは今まで一体何をしていたんだ?と。

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