『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』が描く、現在のアメリカの社会状況とヒーローの内面
映画『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014年)において、「ヒドラとS.H.I.E.L.D.はコインの裏表だ」というセリフがあったように、アメリカにも二つの面がある。ユダヤ人を大量虐殺し、世界の覇権を握ろうとしていたナチスドイツと戦ったアメリカ軍の戦いは、世界の秩序に貢献した部分がある。だがその後、泥沼となったベトナム戦争やイラク戦争などは、世界各国のみならずアメリカ国内でも批判が高まったように、戦いの意義そのものを問われることになった。ロジャースがアメリカの戦いにおける陽の部分の象徴であるならば、バーンズは陰の部分の象徴といえるだろう。
一方、ハイテクスーツに身を包んだサムは、世界で最新鋭の軍備を利用する現代のアメリカ兵の象徴ともいえる存在だ。そんな彼が盾を持つ自信が持てないというのは、いまの複雑な世界情勢の中で、アメリカが正しいと胸を張って言えるような状況にないことを暗示しているのかもしれない。だからこそ彼は、盾を手放すときに「この時代に相応しいヒーローが必要」と語ったのではないか。
だが、そんなことをサムが思っているうちに、なんと2代目「キャプテン・アメリカ」が選出されるという出来事が起こるのが、第1話の衝撃的なラストであった。第2話では、その新キャプテン・アメリカが、サムとバッキー二人と対峙することになる。しかしその人物は、残念ながらスティーブ・ロジャースには、力の面でも人格の面でも、遠く及んでいないように感じられる。
なんとなく雰囲気はいいが、その器ではない人間が、なぜか重要なポストに居座っている……。これは苦笑してしまうくらいに、日本でもよく見られる現象ではないか。サムの自信の欠如が、このような残念な事態を生み出してしまったのだ。サムとバッキーは、表面的には仲が良さそうには見えない。しかし、キャプテン・アメリカになれたはずだったサムに対して、バッキーが「なんで盾を手放したんだよ」と、腹を立てるシーンなど、二人のやりとりのほほえましさは、本作の大きな楽しみとなっている。
本シリーズでは、そんな二人の内面や社会的な状況が、これまでの映画作品よりも、じっくりと時間をかけて描写される。これは、本作がドラマとしての強みを活かしている部分である。『ワンダヴィジョン』と同じく、本シリーズが終了する頃には、視聴者は主人公たちへの思い入れを深くしているはずである。
第2話において、サムとバッキー、そして新キャプテンアメリカの混成チームは、何らかの方法で肉体を強化したスーパー・ソルジャーたちを擁する「フラッグ・スマッシャーズ」との緒戦にて完敗を喫する。とはいえ、互いを罵り合うサムとバッキーの戦闘スタイルは、現時点ではコンビネーションを全く活かせていない。この二人が息を合わせて真に協力たとき、どんな戦い方、どんな新しい力を発揮するのかに期待したいところだ。そのために、彼らは自分のこだわりを捨て去り、互いのことをより理解する必要があるのではないか。
ルッソ兄弟監督による『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年)における、正義のあり方を問う戦いや、悪でありながら正義を標榜したサノスとの戦いを経て、いまアベンジャーズはそれぞれ、サノスの残した思想や、フェイクニュースを広める敵と戦っている。その最前線のバトルを描く本シリーズは、まさに現在の世界の問題を基に、正義とは何かを考え続ける、ルッソ兄弟監督が主導した作品を継続した内容となっているといえよう。これほどエキサイティングなドラマシリーズが、いま他にあるだろうか。
そして、真のキャプテン・アメリカとなるのは、サムか、バッキーか、それとも他の誰かなのか? 本作で誕生すると予告されている、真の二代目キャプテン・アメリカの正体にも大いに期待したい。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■配信情報
ディズニープラスオリジナルドラマシリーズ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』
ディズニープラスにて独占配信中
出演:アンソニー・マッキー、セバスチャン・スタン、ダニエル・ブリュール
監督:カリ・スコグランド
脚本:マルコム・スペルマン
原題: The Falcon and Winter Soldier
(c)2021 Marvel