『ノマドランド』で旅する荒野と記憶 自分にとって誇れる人生とは何か、教えてくれる路上

 しかし、憂いてばかりが人生ではない。それを我々に教えてくれるのもまた、スクリーンに映る“実在する”ノマドの人々でした。そう、本作に登場する役者はマクドーマンドとデイヴ役のデヴィッド・ストラザーンのみで、あとは皆実際に遊牧生活をする人々なのです。しかもファーンのキャラクターモデルであり、原作本で詳細に記されているリンダ・メイ本人が出演している。クロエ・ジャオ監督は、実際に路上で生きる彼らの人生や生活をベースに本作を作っていて、そのリアルな作風はもはやドキュメンタリーに近い。彼らが私たちにかけてくれる言葉も、それを語る表情も、本物。だからこそ気づけば何度も劇中に涙腺が刺激され、心揺さぶられるのです。

 特に印象的なのは、スワンキーと呼ばれる女性。ファーンとともに過ごす時間の中で徐々に体調が悪化していき、自分が癌を患っていて余命幾ばくもないことを明かします(※癌の設定だけはフィクション)。そして、死ぬ前にこれまでの人生で見た最も美しい光景を再び見に行くのだ、とファーンに話す。スワンキーが記憶の中に残る、心打たれた景色を鮮明に描写して聞かせるシーンに、思わずハッとしてしまいました。私は、今までどれだけの数の“そこまで緻密に語れる景色”を見てきたのだろう。どれだけ、壮大な自然を前にして、それをじっくり堪能しながら観察し、言葉に表してきたのだろう、と。60代になって同じ年頃の友人、または自分の家族に語って聞かせる話や景色。その感動こそ、恐らく豊かな人生を生きたかどうかの指標なのだということに気づかされるのです。

 また、とある初老女性は劇中、近所に住んでいた働き詰めの男が、購入した念願のヨットをガレージに置いたままこの世を去った話をします。死ぬ直前まで働いていたそうで、彼女はその出来事を受けて“自分のヨット”をガレージに置きっぱなしにする人生を送らないために早急に退職し、路上に出たと話していました。

 私たちは今、どれほどの時間を片手に収まるデバイスに支配された日々を過ごしているのでしょう。コロナ禍も相まって実際に対面で知り合うのではなく、ネット上の出会いや動画で見る景色、フィクションばかりに触れています。しかし『ノマドランド』のレンズは薄く、まるで私たち自身がアメリカ西部を旅し、素敵な人々に出会っているかのような感覚が味わえる。人生を通して喪失や悲しみを抱えながらも、自分自身に誇れる人生を歩む彼らの気丈な姿や生き方は、見失っていたたくさんのことを思い出させてくれるのです。

 まだ、“この目で”見たことのないたくさんの景色がある。自分が初老になった時に振り返って、たくさんの感動を詳細に思い出しながら語ることのできる、悔いのない誇り高き人生を過ごそう。『ノマドランド』は、そんな誓いを胸に今すぐオン・ザ・ロードしたい気持ちが溢れる、美しい傑作です。ぜひ、大きなスクリーンでご鑑賞ください。

■公開情報
『ノマドランド』
全国公開中
監督:クロエ・ジャオ
出演:フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン、リンダ・メイほか
原作:『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー著/春秋社刊)
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2020 20th Century Studios. All rights reserved.
公式サイト:https://searchlightpictures.jp
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