『ラーヤと龍の王国』にみたディズニーの変化 革新的な作品となった理由を解説
本作の主人公ラーヤは、『白雪姫』(1937年)より綿々と続く、ディズニーによる女性を主人公にしたファンタジーアニメーション大作の系譜に連なっている。この流れは「ディズニープリンセス」という定義でも語られてきたが、これまでその伝統は、現在の目で見たときにディズニーの強みでもあり弱みでもあったといえよう。プリンセスは王族であり、権威を象徴する存在であるからこそ、そんな表象をまとった女性の主人公は、少女たちの憧れとなってきたのだ。しかし時代が変遷するなかで、血統などによる特権的な存在を主人公に据えること自体が、保守的な価値観だと一部で指摘されるようにもなってきた。
ディズニーは、人種差別的な要素が存在していると指摘された過去作『南部の唄』(1946年)を廃盤にするなど、時代の流れのなかで会社、スタジオとしての価値観を刷新してきた。その上で、プリンセスという価値は依然として継続させてきたのだ。その代わり、人種の多様性や恋愛要素の排除など、近年になって、その中身に変化を加えることでバランスをとっているのである。これが、基本的にピクサー・アニメーション・スタジオとは異なる、“革新性と保守性”を同時に含みながら前進する、ディズニーならではの特殊な持ち味なのだ。
これまでにディズニー作品としての革新の成果となってきた、『ムーラン』(1998年)や『プリンセスと魔法のキス』(2009年)、そしてディズニーがピクサーと合同で送り出した『メリダとおそろしの森』(2012年)、さらに『モアナと伝説の海』(2016年)、『アナと雪の女王2』(2020年)などの女性主人公像をさらに前進させ、ミュージカルを歌い上げることもなく、恋愛をするわけでもない、さらにサバイバルや武術に精通した冒険家という個性を獲得しているラーヤを、ディズニーが新たな女性主人公として提出するに至った事実は、伝統への挑戦をこれまで以上に示したものとなっている。
今後、ディズニーが従来の女性の表象やプリンセスの構成要素を排除していくにせよ、逆に“プリンセス”の定義を、ほとんど全てのキャラクターに当てはまるように広げていく選択をするのかは不明だが、現在のディズニーが急激な進歩を自らに課し、変貌を遂げようという強い意志を持つに至ったことは間違いないだろう。本作はそんな姿勢を最も周知させる作品ともなったのだ。
ちなみに、アメリカのオリジナル声優は、主人公ラーヤをケリー・マリー・トラン(『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』)、シスーを前述したオークワフィナ(『フェアウェル』)が演じているほか、サンドラ・オー、ジェンマ・チャン、ベネディクト・ウォンと、アジア系の俳優がキャスティングされている。
これは、白人の俳優がアジア系の役柄を奪ってしまう“ホワイトウォッシュ”を避ける近年の取り組みである。そして、ハリウッドでキャリアのある顔ぶれが選ばれている事実は、アメリカの映画界でアジア系が活躍できるようになってきたことを意味している。とはいえ、ベトナム系であるケリー・マリー・トラン以外のキャストは、東南アジアでなく東アジアをルーツとする俳優に占められているのも確かだ。このように、さらなる多様性追求の姿勢については、ディズニーとアメリカ映画全体における、次なる課題になるはずである。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開・配信情報
『ラーヤと龍の王国』
映画館およびディズニープラスプレミアアクセスにて公開・配信中
※プレミアアクセスは追加支払いが必要
監督:ドン・ホール、カルロス・ロペス・エストラーダ
製作:オスナット・シューラー、ピーター・デル・ヴェッコ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
原題:Raya and the Last Dragon
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