「アニメは実写に、実写はアニメになる」第4回

実写なのにアニメ―ション? 『PUI PUI モルカー』から“ピクシレーション”を考える

 ピクシレーションという技法を有名にしたのは、カナダの映像作家ノーマン・マクラレンだ。マクラレンは、カナダの国立映画制作庁(NFB)の初代アニメーション部門の責任者でもあった人物で、数々の実験的手法の作品を作ったことでアニメーションの歴史に名を刻む人物だ。フィルムに直接絵を描くカメラレスフィルムや、多重露光、カリグラフィ、切り絵によるアニメーションなど様々な手法を試み世界のアニメーション作家に多大な影響を与えた人物である。

 マクラレンはアニメーションについて「絵を動かす芸術ではなく、動きを描き出す芸術である。コマの間に横たわる見えない隙間を操作する」芸術形式なのだと語ったが、その言葉どおりに彼は絵に限らず、あらゆるものを素材に動きを描き出したのだ。(※3)

 そんなマクラレンのキャリアの中で最も有名な作品が、ピクシレーションで制作された『隣人』という短編映画だ。これは、2組の男が庭に映えた一輪の花を巡って醜い争いを繰り広げる姿を描いた作品だ。ユネスコからアニメーション技術指導のため、中国に派遣された矢先に朝鮮戦争が勃発したことがきっかけで本作の制作をしたそうだが、いつまでたっても争うことを止められない人間の愚かさをストレートに伝えている。(※4)

 『隣人』の本編がNFBの公式サイトで公開されている。観たことのない方はぜひ観てほしい。

Neighbours, Norman McLaren, provided by the National Film Board of Canada

 『隣人』がどのように制作されたのか確認してみよう。(※5)上の完成作品を見れば明らかなように全編実写である。しかし、この奇妙な動きは人物をそのまま撮影・記録しただけでは生み出せないのは明白だ。屋外にコマ撮りモーターがついたカメラを持ちだし、役者に瞬間的なポーズを取らせてひとコマずつ撮影している。本作の最も大きな見せ場となっているのは、役者が空中を浮遊しているシーンだろう。これは、役者がジャンプした瞬間をひとコマずつ撮影している。これを演じた役者は心臓に問題をかかえており、撮影後倒れたともマクラレンは語っている。心臓のことをマクラレンは事前に知らなかったらしい。

 屋外で撮影を行ったため、太陽や雲の移動、木々のざわめきなどにも悩まされたという。よく見ると背景の木々の動きがぎこちない場面や影の動きがおかしいシーンもある。

 本作は基本的にひとコマずつコマ撮りをしているが、ひとコマずつの撮影ではない連続モードでの撮影も行っている。通常の映画の撮影では1秒間に24コマの回転数で撮影を行うが、マクラレンは1秒12コマや6コマ、3コマなどの連続モードの撮影も行っているそうだ。24コマで動いているように思える瞬間もあり、様々なコマ数でどのような動きが生まれるのかを一本の作品で堪能できる。

 『隣人』は明確に反戦的なメッセージを伝える作品だが、マクラレンのキャリアの中ではこうしたストレートにテーマやメッセージを伝える作品は珍しい。評論家の森卓也は『隣人』は最もマクラレンらしからぬ作品だと評しているが(※6)、本来のマクラレンは映像を生み出す手法や動きそのものに興味を持って様々な手法を考案した人物だ。しかし、マクラレン本人は本作を自身のキャリアの中で最も重要な作品と位置付けてもいる。(※7)

 人間の愚かさを描いている点で『モルカー』と『隣人』に共通点を見出してもよいかもしれない。『モルカー』で生身の人間が素材として用いられているシーンは(7話までの時点では)例外なく人間の愚かな行為が描かれている。里見監督はもしかして人間の愚かさを描くためにピクシレーション的な手法が有効だと考えたのかもしれない。

 『モルカー』の技術面でユニークな点は、フェルト人形のモルカーの方が生身の人間よりもコマ数が多いことだ。そうすることで、生身の人間よりも作り物のモルカーの方が滑らかに動いている。一般的には、生身の人間は滑らかに動いて、絵や人形はカクカクとコマ数少なく動くものだと思われがちだが、ピクシレーションによってそれを逆転させている点が、本作の出色な点だ。

 ちなみに、ピクシレーションは実験映画、CMやMVのような短尺の映像の領域では比較的よく見られる。実験映画の要素を商業映画に持ち込んだ大林宣彦監督は、長編映画デビュー作『HOUSE ハウス』や自主映画『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』にピクシレーションを用いている。

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