『鬼滅の刃』大ヒットと『ジャンプ』アニメの隆盛 2020年を振り返るアニメ評論家座談会【前編】
『無限列車編』は煉獄さんのライブだった?
杉本:メディアミックスコンテンツの中における映画館の立ち位置がどんなものなのか。要するに、ファンにとっては、映画館での上映がひとつの大きなお祭りという扱いだと思うんですよね。去年、『BanG Dream!』の劇場版があったじゃないですか。あれはもはやストーリーがない作品で、映画というよりライブ・ビューイングに近い鑑賞体験で、映画とはなんだろうという定義が揺らいできているように思います。
藤津:架空のキャラクターの架空のバンドのライブフィルムですよね。そのあたりはたどっていくと、やっぱり2016年の『KING OF PRISM by PrettyRhythm』のヒットは大きかったなと。あそこで、それまで単発的にやっていた応援上映が一般的になりました。音楽がライブで稼ぐとなってきたときに、アニメにおけるライブは何かというのに対して、「映画館がライブ会場なんだ」という答えがばしっと出た。ということは、物語である必要はないし、物語よりも、開発時間が短く済むといったことも合致して、アニメによるライブという形式にするに至ったと思うんです。そうすると、興行形態としては映画だが、旧来的な意味で、「果たして映画か?」みたいな問題提起は、やはり起きてくるわけです。
杉本:そう考えると、『無限列車編』は煉獄さんのライブだったのかもしれないですね(笑)。
藤津:すごいきれいなまとめですね(笑)。かなりの人はたしかに煉獄さんを観に劇場に行ってますからね。
藤津:だから、『鬼滅の刃』も応援上映があったら、たぶんすごく盛り上がったと思うんです。このご時世だとできないですけど、「死なないでー!」とみんな言っていたはずなんですよ(笑)。何回目かの人は「今度は勝てるー!」とか言っていたはず(笑)。
渡邉:鬼滅は4D上映はやってないんでしたっけ?
杉本:ちょうど今やっていますね。
渡邉:4D上映や応援上映は、いわゆる初期映画の上映形態に近いという映画研究の議論があります。草創期の映画興行でも、まさに『KING OF PRISM』とかライブアニメみたいに、映画館でみんなで歌ったりとか、上映中に喋ったりしていたわけですよね。それで言えば、杉本さんがリアルサウンド映画部に書かれた、「列車映画」として『無限列車編』を読み解くという内容のコラムも非常に面白かったですけど、あそこでも書かれていたように、初期映画の頃には『ヘイルズ・ツアーズ』とか列車を模した4Dのアトラクション的な映画館もあったわけで。そういう意味では、よく言われることですけど、『鬼滅の刃』もやっぱり、映画館の先祖帰りというか、最先端の新しいものが、逆にすごく古いものに帰っていっているという現象を反復している感じがします。
杉本:ありますよね。近年『鬼滅の刃』に限らず、映画館のあり方というのは、どんどん昔に戻っていっている部分があるんだろうなと思っていて。シリーズものが受けているというのも、1910年代には連続活劇と呼ばれていたシリーズものがありましたよね。そういうものが、また復興してきている側面もやはりあるんだろうなと。
藤津:半分余談話ですけど、炭次郎のモノローグの多さを、活弁だと思えばいいのかという冗談めいた謎の回答が降りてきました(笑)。登場人物が活弁も兼ねているんだと。
渡邉:まさにそうですね。
藤津:それぐらい、変わってきているし、観ている側も、映画というものを観に行っているわけじゃないんですよね。多くの人はお話や、キャラクターを観に行っているわけで、そこが、あらわになったというか、変化を後押ししているなという感じがします。
藤津:あとは、単純に内容の話を一言だけしておくと、さっき煉獄さんのライブという話がありましたけど、やっぱり『無限列車編』だからこんなにヒットしたというのはおそらくあって。いろんなところで言っているんですけど、『無限列車編』は1番感情を発散させやすいんですよ。前後のエピソードでいうと、蜘蛛の鬼の話も面白いけど、重いんですよね。この後ろの『吉原編』はもう少しキャラにクセがあるし、話も入り組んでくる。一番ポンと観てアクションで熱くなれて悲しいシーンで涙を流せるという、2020年の鬱屈した感じに対して、“エンタメとはこういう感じ”とストレートに時代とハマったなと。何か良いものを観たと思えて帰れるくらいの人生の教訓的なものも入っているという意味では、ちょうどいい映画だった。
杉本:一番映画向きなんじゃないかと、アニプレックスの方も直感で感じていたらしいですね。
藤津:『駅馬車』みたいな構成ですしね。
杉本:そうですね。列車が走っているだけで、テンション上がるじゃないですか。