家族の“やっかいさ”が愛おしい フランスからの贈り物『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』
“2020年”という大きな節目であったはずの1年もあっという間に過ぎ去り、あっけなく迎えてしまった2021年。とはいえ、大変な1年であった。この年の変わり目である年末年始を、人々はどのように過ごしたのだろう。平時であれば例年のこの時期は、多くの方がそれぞれの郷里へと帰るものと聞く。たしかに年末年始の光景といえば、まず思い浮かぶのが「家族のいる時間」だ。家族や親戚に囲まれる楽しい時間ーーこれまで当たり前に訪れていたそんなひとときを過ごすことさえ、多くの方が叶わなかったのではないかと思う。
けれどもそれは私たちだけでなく、世界中の人々にとっても同じこと。誰もがそのような環境下にあるし、国や地域によっては、さらに厳しく息苦しい状況なのだと思う。もっとも、“私たち”と軽率にもひとくくりにしてしまったが、同じ地域に住んでいてもその内情は異なる。友人どころか、家族のことでさえ分からないことは多々あるのだ。
いま現在の環境下で公開されている映画たちは、このような未曾有の事態に陥る以前の世界のお話や、あるいはそれとはまったく関係のない別の世界線の物語であったりするのがほとんど。そんななかで「家族」を描いた映画を観ると、どうにも胸が苦しい。それが、どういったカタチのものであるにせよだ。過ぎし日の、あるいはこれから先、自分を待っているかもしれない家族との時間に思いを馳せずにはいられない。このようなタイミングで、ある“家族の風景”を描いた映画『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』がフランスから届いたのだ。
家族というのがときにやっかいなものでもあることは、誰もがその身をもって知っていることと思う。しかしやはり失ってしまうと、あの“やっかいさ”さえもが愛おしいというもの。本作は、とある家族のひとときを描き、そんな“やっかいさ”への愛しさを謳っている。
物語は、かの有名なショパンの「幻想即興曲」とともに開巻。夏のある日、健康的な緑とまばゆい光に包まれた、フランス南西部のとある邸宅に人々が集まってくるところからはじまる。のどかな光景(映像)と、それに対していささか不安を感じさせる音楽。なんだか怪しい。そうして嵐の前触れのようにふいに雨が降り出し、やがてここに集う一家のもとへ“嵐”がやってくる……。
人々は、母・アンドレア(カトリーヌ・ドヌーヴ)の70歳の誕生日を祝うのが目的だが、そこへ、3年間も行方不明であった長女のクレール(エマニュエル・ベルコ)が急きょ帰ってくる。これにほかのみんなは困惑の色を隠せない。なにせ彼女は、かなりのトラブルメーカーだ。生真面目な長男・ヴァンサン(セドリック・カーン)、芸術家肌の次男・ロマン(ヴァンサン・マケーニュ)とが揃えば問題が起こるのは避けられないし、クレールの娘・エマ(ルアナ・バイラミ)は、自分をほったらかしにしていた母との間に確執がある。“一家の長”ともいえる母・アンドレアは、自身の誕生日という記念すべき日に、そんな一触即発の状態にある家族を毅然とした態度で迎え、包み込むのだ。