『MIU404』の“誠実さ”、異例の朝ドラ『エール』 2020年を振り返るドラマ評論家座談会【前編】
戦争を加害者の視点で描いた『エール』
ーーSNSの声という部分で言えば、毎日放送がある朝ドラが最も視聴者の声が多い作品とも言えます。初の中断期間を経ての作品となった『エール』はいかがでしたか?
成馬:緊急事態宣言明けに撮影したという第18週の戦場描写を中心に、戦時下に入っていく過程はよかったですね。裕一(窪田正孝)たちを取り巻く環境が少しずつ戦争に染まっていって、映画さながらの戦場シーンがあって、「長崎の鐘」を書き上げるあたりまでは、ドラマとしての強度を感じました。ただ、戦後の復興期に入ってからはトーンダウンしてしまったという印象です。2011年の東日本大震災以降の傾向だと思うのですが、朝ドラの戦争描写、具体的には『おひさま』あたりから「戦時下のリアリティ」が増しているように感じます。どこか既視感のある場面が増えたというか、いまの自分たちにも同じことが起きているのではないか? と感じることが増えている。逆に戦後編になると途端に説得力がなくなるので、戦時中に最終回を迎える朝ドラがあってもいいと思うんですよね。
田幸:前代未聞の中断があったこともあり、パッケージ化される時の作品の完成度だけ見ると決して高い作品ではなかったと思います。お笑いのテンションのパートとシリアスなパートがまったく別の作品みたいで、つぎはぎな印象もありました。ただ、そんなマイナス部分を補うほどの、製作者たちの熱意は感じましたし、コロナ禍の雰囲気も反映されたリアルタイムで作っているライブ感がすごかった。再放送になってしまった際は急遽出演者による副音声を入れたり、最終回がコンサートになったり、サービス精神に満ちた温かい作品だったと思います。また、主人公・裕一を戦争の加害者として描いた意義も大きいと思います。NHKで放送され、映画としても公開された『スパイの妻』の中で、「私は実のところ、全くもって狂ってないんです。でも、狂っていないということが、狂ってるということなんでしょうね、この国では」という恐ろしいセリフがあるんです。1972年に相模原で起こった出来事を描いたドキュメンタリー映画『戦車闘争』でも、自分たちの修理した戦車がベトナム戦争に送られることに対し、「アメリカの戦争に日本人が加担する」と気づき、抗議する人々の姿が描かれています。自分たちとは全く関係ないと思っていたベトナム戦争が、日本とアメリカの関係のもとに、自身の意思とは関係なく巻き込まれ、間接的に戦争に加担するかたちになった。このように、映画では日本の戦争責任を捉え直す作品は作られていましたが、ドラマで、しかも視聴率が20%を超える朝ドラで描かれたのには驚きました。政治不信が続くいまだからこそ、戦争加害について正面から描いたことはものすごいチャレンジだったんじゃないかなと思います。
成馬:去年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK)でも、当時あった差別や政治的状況を描くことで、オリンピックを控えた現在とつなげようとしていましたが、歴史劇に内包して現在を描くのではなく、もっと正面から現在の政治状況を描いてもいいと思うんですよね。歴史劇だからこそ描けるのは理解できるのですが、歴史劇として描いている限り、気づかない人は永遠に気づかないという限界も感じるんです。すでに現実の方が、ディストピア化しているのだから、いっそのこと大河ドラマや朝ドラで、ディストピアSFを放送してもいいと思うんですよね。海外ドラマでは、ヒーローモノの枠組みを使って、トランプ政権を皮肉った『ザ・ボーイズ』やBLM運動を予見したような『ウォッチメン』が作られていますし、『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』のような女性差別を題材にしたディストピアSFもある。日本でも、歴史劇という建前を経由せずに、そんな作品を作って欲しいです。
田幸:NHKは「よるドラ」枠でそれに近いものをやっていますよね。コロナ禍を題材としたSFもこの枠で生まれそうな気がします。
成馬:コメディっぽくなっちゃうのはちょっと難点ですけどね。極端な話、NHKから歴史劇の枷が外れたら最強だと思うんですよね。それこそ、大河ドラマで『機動戦士ガンダム』をやるような、SFロボットアニメみたいなものを予算をかけて作り上げたら絶対すごいものになるぞと。日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』をNHKで作ってほしいんですが……。
田幸:朝ドラ、大河がSFというのは観てみたいですね。私たちが生きている間は難しそうですが(笑)。
ーー話をまた『エール』に戻しますが、木俣さんはいかがでしたか?
木俣:『エール』は戦争を逃げずに正面から描いた。しかも、主人公を戦争加害者として描いたところは田幸さんがおっしゃるようにすごくチャレンジングだなと思いました。ただ、『エール』の主人公・裕一には明確なモデルとして古関裕而さんという実在の人物がいます。裕一が感じた戦争責任も、古関さんが感じていたものとはイコールでは当然ないわけです。あくまで作り手が想像したものですよね。楽曲は“本物”を使っているからこそ、その楽曲が生み出された背景をオリジナルとして作ることはある種おそれおおいことのような気がして……。それを作り手はどこまで考え抜いて、最終的に選択したか。実際の曲を使ってその背景をオリジナルの物語にするという構造だけみれば、モーツァルトとサリエリの物語を描いた映画『アマデウス』と同じで、それは名作として高い評価を得ています。ただ、『アマデウス』の舞台は1800年代、それに対して太平洋戦争はまだまだ遠い記憶ではない。同じ記憶を共有している人がまだまだ存在する中、ここまで史実をフィクションとして描いていいのかと。戦争責任という重要な問題に挑むならば、たとえば、「長崎の鐘」も「栄冠は君に輝く」も一切使わず、『なつぞら』がそうだったようにすべてオリジナル楽曲で描いてもよかったのではないかと思うのですが、もともと古関の楽曲ありきで、そこはどうにも動かせないために苦労があったように感じました。
成馬:史実に対する距離感をどうするかというのは大きな問題ですよね。『いだてん』はチーフ演出の井上剛さんの作風もあってか、ドキュメンタリー的なアプローチからはじまっており、登場人物も基本的に全員・実名で登場し、史実は動かさず、歴史の隙間をオリジナル要素で埋めていくというアプローチだった。当然、取材の量も尋常ではない。
木俣:『エール』も丹念に調べていたことは分かるんです。そこはNHKですから膨大な資料もあるでしょうし、調査力にも定評がある。朝ドラと大河ドラマという枠の違いが2作を似ているようで違うものにしたように感じます。もちろん、コロナ禍も含めて異例の1年だったので、しょうがない部分も多かったとは思います。