大ヒットは“妹の力”が支えている? 『鬼滅の刃』禰豆子から考える歴代興行収入ランキングの傾向
竈門禰豆子に見る大正時代の「妹の力」
さて、その点でぼくが注目してみたいのは、『鬼滅の刃』で物語展開の主要な役割を担っているキャラクター、「竈門禰豆子」の存在である。
よく知られる通り、禰豆子は本作の主人公・竈門炭治郎の妹であり、物語の冒頭、彼が炭焼きを営む家を留守中に鬼の襲来を受けた家族のなかで、唯一生き残った肉親でもある。そして、傷口から鬼舞辻無惨の血が混入したことで鬼化してしまったが、わずかに元の人間としての意識や情愛も残しており、炭治郎に守られながら、ときに鬼との戦いで彼を救うこともある。
ところで、さきほども触れた『鬼滅』ヒットについて論じた過去の拙稿のなかで、ぼくは、一種の「伝奇ロマン」ともカテゴライズできる本作が作中で明治から大正への改元に言及している事実に注目し、このジャンルの隆盛が1980年代(昭和から平成への改元)、そして現代(平成から令和への改元)と反復しながら確認できるという符合を短く指摘した。たとえば、こうした点からさらに敷衍してみると、『鬼滅』におけるこの兄妹、ひいては「鬼化=ノンヒューマン化した妹」というモティーフは、大正時代を舞台にしたこの作品の物語にとって、また別の側面からも興味深い意味を持っているといえる。というのも、ほかならぬこの大正時代に、この妹の持つ不可思議な力に注目した有名な文章が記されたからだ。
それが、日本民俗学の始祖として有名な柳田國男が、奇しくもいまからほぼ100年前の1925年、つまり大正14年10月――ちなみに昭和への改元へもそれからわずか1年あまり――に『婦人公論』誌上で発表したごく短いエッセイ、「妹の力」である。
この文章は、柳田が大正初期から長らく取り組んできた一連のシャーマニズム(巫術)研究、とりわけ「巫女考」(1913年〜1914年)に代表される巫女研究の系譜に連なるものだ。柳田が説明するところによれば、「祭祀祈禱の宗教上の行為は、もと肝要なる部分がことごとく婦人の管轄であった。巫はこの民族にあっては原則として女性であった」(「妹の力」、『妹の力』角川ソフィア文庫版、23頁)。そして、『古事記』や『万葉集』以来、「家」にあってときに母にも妻にも妾にも転化しうる存在としての「妹(いも)」こそ、霊
的な呪術を司る特権的な女性であるとされてきた。柳田はいう。「家々の祖先の霊、または住地と縁故の深い天然の諸精霊のごときは、かりにこれを避け退ける方法があっても無情にこれを駆逐するに忍びなかった。いわんや人と彼らとの間に立って、斡旋し通訳するの任務が、主として細心柔情にしてよく父兄を動かすに力ある婦人の手にあったのである」(同前、31-32頁)。
さらに奇しくもこの「妹の力」で柳田は、「古風なる妹の力」の一例として、東北の富裕な旧家の発狂した6人兄妹の末の13歳の妹が、「向こうからくる旅人を、妹が鬼だというと、兄たちの目にもすぐに鬼に見えた」(26頁)という逸話を紹介している(ちなみに、禰豆子の年齢も12〜14歳という設定)。