窪田正孝を中心に製作陣全員が届けてくれた“エール” 『エール』は忘れられない朝ドラに

 3月30日に始まったNHK連続テレビ小説『エール』は、本日11月26日の放送で第119話を迎える。すでに発表されているように、第120話は本編とは別枠の“『エール』コンサート”(詳細:『エール』最終回はNHKホールからのコンサート 窪田正孝「一足早い、“紅白歌合戦”のようでした!」)となるため、実質本日が物語の最終日となる。

 本作は新型コロナウイルスの感染拡大によって、約2カ月の撮影休止期間があった。放送回数は2週分の10話少なくなり、脚本の大幅な変更も余儀なくされたという。感染拡大の状況によっては再び撮影が中断してもおかしくなかっただけに、外側からはうかがい知ることができないほど多くの困難があったことは想像に難くない。それにも関わらず(だからこそ)、撮影再開後に撮影したという第18週「戦場の歌」から最終週「エール」までは、前半戦にはなかった気迫、作り手たちの執念のようなものが溢れていたように思う。

 特に第18週「戦場の歌」での藤堂先生(森山直太朗)の死と裕一(窪田正孝)の心の崩壊から、第19週「鐘よ響け」で立ち直った裕一が「長崎の鐘」を完成させる一連の流れは圧巻だった。朝ドラで戦争が描かれることはこれまでもひとつの定番であったが、『エール』では主人公・裕一や戦時歌謡の歌い手であった久志(山崎育三郎)らを、(間接的にせよ)戦争加担者として、周囲にも責められる形で描いたことに大きな意義があったように思う。裕一は藤堂の死を前にした際、「何も知らなくてごめんなさい……」と繰り返した。もちろん、裕一が悪意を持った人間ではないことは物語を観てきた視聴者なら誰でも分かるし、藤堂の死も彼のせいではない。しかし、事実だけを抜き出せば、裕一の音楽は命を奪う戦争の道具のひとつにもなってしまった。

 意図していたものと違った形で音楽(芸術)が使用されてしまう怖さ、無意識的にせよ加害者になってしまう怖さ、抗えない理不尽なものに日常を奪われてしまう怖さ。裕一が経験した自責の念とスケールの違いこそあれど、これは戦時中だけの問題ではなく、現在を生きる我々にもいつ起きてもおかしくないものだ。現に多くの人がコロナ禍によって当たり前にあった日常を奪われた。だからこそ、どん底から立ち上がり、再び希望を抱き前に進んだ裕一の姿に心を打たれた人が多かったように思う。裕一を最後に立ち直らせたのは、音楽ではなく、家族、友人、仕事仲間と、彼が一緒に生きてきた人々だった。どんな絶望の中でも一緒に生きていける人がいれば、また一歩を踏み出せる。誰かと一緒に同じときを歩むこと、自分が大切に思うものを最後まで信じ続けること。『エール』は裕一の姿を通して、たくさんの“エール”をわたしたちに届けてくれた。

 そんな裕一を10代から70代まで見事に演じきったのが窪田正孝だ。撮影終了後のインタビューで、「出演されたみなさんが静と動の“動”を担ってくださったので、裕一が“静”として生きられた」とコメントしているが、裕一を演じる窪田が受け止めていたからこそ、ほかのキャスト陣が“動”の芝居として輝いていた。

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