宮台真司の『TENET テネット』評(後編):ノーランは不可解で根拠のない倫理に納得して描いている

『TENET』のフェティシズムを堪能する

宮台:そう。多くの人が頭を悩ませる「謎解き」には、暇潰しの楽しいゲームという以上の意味はありません。所詮、映画は荒唐無稽なものだし、言語は幾らでも荒唐無稽に使えるものだから、「謎」を言葉で補おうと思えばいくらでも補えるけれども、ノーラン監督は「死ぬまで謎解きしてな、本当の恐ろしい謎はそこにはないんだよ」と思っているんじゃないかな(笑)。

ダース:まあ、作った側にしてみれば、そこまで面倒見る必要もないから(笑)。

宮台:古い話だけど、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(1982年)に7つもバージョンがあることから僕らが理解したのは、映画の結末は、編集権を握るプロデューサーがちょっといじるだけで、どうとでもなること。それが示しているのは、巷で話題になりがちなプロデューサーとの確執問題というよりも、むしろ監督自身にとって「大人の事情」を含めたいろんな要因で結末をどうとでもいじれるということですよ。

 それを知って、僕がやるようになったのは、映画のハッピーエンドを、頭の中で想像的にバッドエンドにしてみることです。すると、途端に映画に潜在していた見えない可能性が、一挙に顕在化するんですね。今回の『TENET』でもやってたところ、ドラマツルギーは破壊されますが、映画の設定が抱える倫理的な未規定性ーー「今の人類」は善か悪か/未来人は善か悪かーーが顕在化することになりました。

 さて、ここからは別の話題です。『メメント』を最初観た時、「何かすごいものを観た」と思ったけど、何がすごいか分からなかった。だから当時3回観直して、すごさを理解していきました。僕が150回以上観た『殺しの烙印』(1967年)もそうだけど、何となくカッコいいなという享楽を感じた映画を、繰り返し観ると、いつの間にか主人公のジェスチャーやセリフを真似しているんですね(笑)。この段階で、主人公の存在形式が美学的に感染しています。実は、ストーリーや設定とは別に、そこから伝わる世界観が確実にあるんですよ。

 実は、ノーランの映画もそうです。『ダークナイト』(2008年)の事実上の主人公ジョーカーもそうでしたね。ジョーカーを演じたヒース・レジャーは、恐らくこの感染から染まった世界観から逃れられずにオーバードーズして死にました。『TENET』も、ストーリーや設定で語れる抽象水準とは別に、美学的なものを提示しているように感じます。三島由紀夫に従えば、「美的」とは見掛けの美しさですが、「美学的」とは、見掛けが醜くても、内側から生きられた構えに感染できることです。

ダース:まさに、ストーリーではないところで火が降ったり、世界観を締めるという観点は、『TENET』を観る上で非常に重要だと思います。特に1度目に観るときは、ストーリーがどうだではなく、「うわ、すげえな」という体験を味わえばいい。物語の解釈やネタバレみたいなものは、この映画においてはあまり重要ではない、ということが重要な気がしてきます。

宮台:そう。美学的な感染は、必ずしも規範的構えに限らず、フェティシズムでもあり得ます。それで言うと、黒沢清さんに先日『スパイの妻』のインタビューをしたのですが(参照:宮台真司×黒沢清監督『スパイの妻』対談:<閉ざされ>から<開かれ>へと向かう“黒沢流”の反復)、彼の映画には映写機を回すシーンがよく出てきます。それが今作でも非常に重要な役割を果たしていました。そこで「なぜいつも映写機が出て来るんですか?」と尋ねたところ、「いや、映写機を回すとワクワクしませんか」と。実にいい答えなんですね。

 僕は黒沢監督とほぼ同世代で、小学校の社会の時間などに16ミリフィルムのドキュメンタリーの映写を何度も経験してきているので、本当によく分かります。同じことがノーランにも言えるんじゃないかな。『メメント』と『TENET』に共通したフィルムの逆再生ーー典型的には落として割れた花瓶がもとに戻る映像ーーは子供なら誰でもめちゃくちゃ喜んだものですよ。

ダース:カッコいい、すげえなって。

宮台:そう。僕は、逆回しがカッコよく見えるというフェティシズムから見えてくる世界観が、あるんじゃないかと思っています。それを言葉にするのは難しいけれど、敢えて言えば、「世界はどうとでもありうる」という感覚かもしれません。映写機が回ると眩暈がするほどワクワクしたのは、そういうことじゃないかと思っています。

 黒沢清が映写機に感じるようなフィルム的なものへのフェティッシュが、ノーランにもあります。つまり、「なぜ逆回しで見せるのか、実は物語的に言うと……」じゃなくて、「逆行自体が何かカッコよくない?」というフェティシズムが間違いなくある。僕は、物語や設定から浮かび上がる世界観だけでなく、フェティシズムから浮かび上がる世界観も、確実にあると思っています。例えばマゾにはマゾなりの世界観があるんです。実際、「謎解き」に知恵を絞るより、「逆行シーンを撮りたかっただけ」と考えると愉快になりませんか?

ダース:実際、『TENET』は防護服をつけて逆行時間を進むシーンとか、順行と逆行が入り交じったカーチェイスとか、何が起こっているかわからなくても、映像的にとにかくすごいことが起こっているという快感があります。

宮台:そう。そういうワクワク感は、圧倒的に『メメント』を超えていますよね。だって、あんなカーチェイス、フィルムに対するフェティシズムが病気の域に達しているノーラン以外に、誰が思いつきますか(笑)。彼が長らくフィルムでの撮影にこだわりつづけてきたのも、映像効果もあるでしょうが、単にフィルムを回すと眩暈がするからだと僕は思っています(笑)。まぁ荒唐無稽な理由ですよ。

 そういうヘンテコな映画、最近少なくなっちゃいましたね。日本だと大林宣彦監督がその意味でヘンテコでしたが、先日亡くなっちゃいました。素人8ミリフィルムみたいに、タイムラプスやオーバーラップや唐突なジャンプショットを使いまくるという。とてもステキでした。実は、僕はヘンテコな映画であるほど好きです。自分が8ミリ映画を撮っていたからかもしれません。

ダース:全体としては何が何だかわからないが、映像としてワクワクするし、面白い。そういう受け取り方も大事にしたいですね。

■宮台真司
社会学者。映画批評家。東京都立大学教授。近著に『14歳からの社会学』(世界文化社)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎)など。Twitter

■DARTHREIDER a.k.a. Rei Wordup
77年フランス、パリ生まれ。ロンドン育ち東大中退。Black Swan代表。マイカデリックでの活動を経て、日本のインディーズHIPHOP LABELブームの先駆けとなるDa.Me.Recordsを設立。自身の作品をはじめメテオ、KEN THE390,COMA-CHI,環ROY,TARO SOULなどの若き才能を輩出。ラッパーとしてだけでなく、HIPHOP MCとして多方面で活躍。DMCJAPAN,BAZOOKA!!!高校生RAP選手権、SUMMERBOMBなどのBIGEVENTに携わる。豊富なHIPHOP知識を元に監修したシンコー・ミュージックのHIPHOPDISCガイドはシリーズ中ベストの売り上げを記録している。
2009年クラブでMC中に脳梗塞で倒れるも奇跡の復活を遂げる。その際、合併症で左目を失明(一時期は右目も失明、のちに手術で回復)し、新たに眼帯の死に損ないMCとしての新しいキャラを手中にする。2014年から漢 a.k.a. GAMI率いる鎖GROUPに所属。レーベル運営、KING OF KINGSプロデュースを手掛ける。ヴォーカル、ドラム、ベースのバンド、THE BASSONSで新しいFUNK ROCKを提示し注目を集めている。

■公開情報
『TENET テネット』
全国公開中
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス
製作総指揮:トーマス・ハイスリップ
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、アーロン・テイラー=ジョンソン、クレマンス・ポエジー、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved
公式サイト:http://tenet-movie.jp
公式Twitter:https://twitter.com/TENETJP

関連記事