凪沙は草なぎ剛の“愛情の化身” 『ミッドナイトスワン』は停滞した悲しみに風穴を開ける

停滞した悲しみに風穴を開ける作品に

 人間は年を重ねてくると、誰かのために愛情を使いたくなってくるような気がする。逆を言えば、自分のためだけでは頑張れなくなるのだ。何のために生きているのか……その答えとして「〜のため」と自分以外の存在があると強くなれる気がする。「親になりたい」と願うのは、自分をこの世界に留まる理由がほしいからなのかもしれない、というのは少々乱暴な言い方だけれども。

 ただ、凪沙の衝撃的なラストを考えると、人の命をこの世界に繋いでいるのは愛情なのだと改めて思ったのだ。このラストについては、様々な声が上がった。特にSRS(性別適合手術)とその術後に関しては、「現実的にありえない」という指摘もあれば、「あのくらい壮絶だった」という経験談も聞こえてくる。

 それだけ議論を呼ぶということは、きっと新たな風穴が開いた証拠なのだと思う。この映画に漂う生々しいニオイは、偏見、差別、虐待、貧困、自傷、毒親、孤独……この社会に確かにあるけれどなかなか光が当たらず、風穴が開かない停滞した悲しみによるものだと思った。個人的には、凪沙にトランスジェンダーとして生きる人たちの希望になってほしかった。例えば、韓国ドラマ『梨泰院クラス』に登場するマ・ヒョニ(イ・ジュヨン)のように、「これが自分だ」と、胸を張って人生を切り拓くような瞬間を。

 だが、内田監督は「幸せなラストもそれは考えたんです。けど、取材をする内にね、やっぱり光が見える…凪沙に光が見えるラストって絶対に僕は描けないなと思いました」と話している。もちろん、幸せに暮らしている人もいると前置きした上で「現実世界で、多くのトランスジェンダーが身を置いている環境に、光が差しているとはとても思えません」というのだ。

 小説『ミッドナイトスワン』(文春文庫)に、「凪沙は自分が可哀想と思われるのも、可哀想と思わせる物事や人も嫌いだった」という一節があった。誰かに同情されて救われたいと願っているのではなく、ただただ自分らしくいられるフラットな空気を求めているだけ。でも、今の社会は「なぜ私だけがこんな思いを……」と涙がこみ上げてしまう場面が多すぎるのだ。この作品をきっかけに、多くのトランスジェンダーの方が、映画を観た感想を発信している。これまで耳を傾けなかった人のもとに、声が届く流れが生まれようとしている。知ることが、社会に漂う空気を変えるのだ。

 今回、シス男性の草なぎがトランス女性に挑んだということそのものが、ひっかかるという声もある。しかし残念ながら日本でトランスジェンダーの俳優が活躍するのは、まだまだ何歩も先のことに思える。この作品で、ようやく開いた風穴から小さな光が差したところ。その光が、これから温かな未来を照らすものになることを、そして偏った見方で閉ざされてしまわないことを願うばかりだ。

■公開情報
『ミッドナイトスワン』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
出演:草なぎ剛、服部樹咲(新人)、田中俊介、吉村界人、真田怜臣、上野鈴華、佐藤江梨、平山祐介、根岸季衣、水川あさみ、田口トモロヲ、真飛聖
監督・脚本:内田英治
配給:キノフィルムズ
(c)2020 MidnightSwan Film Partners
公式サイト:midnightswan-movie.com

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