『太陽の子』が訴えかけた原爆の恐ろしさ 三浦春馬さんが放送前に語っていた大切なこと

『太陽の子』が訴えかけた原爆の恐ろしさ

 時代は昭和から平成を越えて令和へと移り、戦争体験者は全人口の2割弱と急速に減りつつある。戦争が多くの人々の中で「自己の体験」から「伝え聞くもの」に変わりゆく中、この夏もテレビ各局では様々な戦争番組が用意され、その惨禍を次代に伝える取り組みがなされていた。

 そんな中、終戦から75年目の8月15日、NHK総合では国際共同制作 特集ドラマ『太陽の子』が放送された。柳楽優弥、三浦春馬、有村架純が出演し、戦時中の若者の姿を投影する。国際共同制作映画『太陽の子』(公開日未定)の制作も決定しており、テレビドラマ版と映画版では違った視点で描かれることが発表されている。

 今回のドラマで中心的人物として描かれた石村修(柳楽優弥)は、原子物理学を志す科学者の卵。「実験バカ」と呼ばれるほどに実験にのめり込む日々を送っていた。幼なじみの世津(有村架純)にキラキラした瞳で原子についての説明をする姿からは、科学の魅力に心底取り憑かれている様子が伝わってくる。しかし、この戦時下で修が研究に没頭することは、意図せぬことを引き起こす。

 豊かな生活や明るい未来のためにあるべき科学技術は、一方で思わぬ用途に使われ人や社会に甚大な被害を与える場合もある。輝く瞳で研究に没頭する修の姿や、わずか0.7%のウランを抽出するための飽くなき挑戦といった科学のロマンが描かれる前半に対して、研究してきた「原子爆弾」の持つ現実の惨状を受け止める後半のコントラストは、理想と現実の狭間に揺れる修の姿を通して戦時下の日本をまざまざと映し出す。

 一方で、修の弟である裕之(三浦春馬)もまた理想と現実の狭間で苦しみを抱えていた。陸軍の下士官として戦地にいたが、肺病の療養のため帰ってきた裕之は、前線での壮絶な体験を顔に出すことなく、家族に対して明るく、優しく振る舞う。しかしその心にはしっかりと大きな傷が刻まれていた。裕之は海を目の前に、“今は個人の感情よりも国家の発展を優先させるべき時”と前向きに修を諭す。

 だがその後、突然行方をくらまし、先ほどの海に入水。必死の修に助けられる。裕之は「怖いよう」と顔を歪め「俺だけ死なん訳にはいかん」と泣き叫ぶ。これが戦争がもたらす残酷な現実なのだろう。そして裕之は戦地で特攻隊として出撃し、命を落とす。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる