アダム・サンドラーはなぜ再び成功を収めることができたのか? Netflixとのコラボから紐解く

 利用者を増やし、めざましく躍進している動画配信業界。新型コロナウイルスによる自粛の影響もあり、日本も定額の配信サービスに加入する人が増えてきている。映画作品が、いつでも好きなときに鑑賞でき、そこに加入していなければ観ることのできない作品も多くなってきている。

 配信業界が登り調子の風潮のなかで、その波に乗り最も成功したといわれる俳優が、アダム・サンドラーだ。一時期はアメリカでトップクラスに稼いでいながら、近年の出演作が低調で、その存在が希薄になりつつあったサンドラーだが、Netflix作品に立て続けに出演し、またしても映画業界の最前線で注目を浴びる存在へと返り咲いたのだ。

 とはいえ、日本では彼のことを「どんな俳優だったっけ?」と思う人も少なくないだろう。ここでは、そんなアダム・サンドラーを紹介しながら、なぜ彼が配信業界で再び成功を収めることができたのかを探っていきたい。

 日本でアダム・サンドラーの知名度がいまいち低いというのは、彼がコメディー俳優だということが関係しているだろう。サンドラーがアメリカの人気コメディー番組『サタデー・ナイト・ライブ』から人気を得たように、日本でもよく知られる、ロビン・ウィリアムズ、トム・ハンクス、エディ・マーフィーのような、コメディアン出身俳優は、シリアスな演技やアクション描写のあるヒット作品に出演することで人気を高めていった部分がある。それに対し、サンドラーは多くが、文化的な知識がなければ最大限に楽しみづらい、純粋なコメディー作品への出演によってキャリアを積んできた。だから、アメリカと日本で人気の差があるのは当然といえる。日本でのヒットのチャンスがあった大作『ピクセル』(2015年)の不振というのもあった。

『50回目のファースト・キス』(c)2004 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 アメリカではサンドラーは、90年代より『ウェディング・シンガー』(1998年)などのヒット作を連発し続け、1999年には自身の製作会社“ハッピー・マディソン・プロダクション”を立ち上げることで、2000年代に『50回目のファースト・キス』(2004年)などのヒット作にも恵まれて、俳優の収入ランキング上位に何度も顔を出すようになる。俳優のギャラだけでなく、製作も自身が行うことで、自身の望む作品づくりを実現させ、より多くの利益を得るということは、俳優のみならず、業界で力を持つ映画人のたどる成功のプロセスといえるだろう。

 コメディアンとしての才能が突出しているサンドラーは、脚本や企画も作れるタイプの、クリエイティブな作家型俳優である。機知に富んだ、ときに過激な内容の笑いを自分で考え、自分で演じることで、その魅力はダイレクトに観客に伝わる。そんな創造性が、俳優としてのキャラクターを超えて愛されるようになった理由だといえよう。

 しかし、絶大な人気を誇ったアメリカでも、その後次第に衰えが見え始める。40代も半ばを過ぎると、いままでのような“面白いお兄さん”というサンドラーのイメージは崩れてきた。コメディーに特化することがサンドラーの強みであったはずが、その特性と立場によって、スター映画の二番手、三番手あたりに収まる“味のある演技派”という安定したポストに収まることができず、人気があるがゆえに若手の台頭などで激烈な戦いを繰り広げる最前線にとどまり続けた部分があった。同時に、ファンも同様に年齢を重ねたことで、仲間と一緒に映画館でコメディーを楽しもうとする観客が減少したという事情もありそうだ。

関連記事