Netflix『タイガーテール』の味わい深いキャスティングと選曲 愛惜と憧憬がにじみ出る物語に
『タイガーテール -ある家族の記憶-』はアメリカ本国での劇場公開がパンデミックのために中止され、Netflix配信のみとなった。NBC『パークス・アンド・レクリエーション』『グッド・プレイス』、Netflix『マスター・オブ・ゼロ』などのドラマシリーズの脚本・演出で実績を積んだ台湾系アメリカ人2世、アラン・ヤン(楊維榕)にとって、これが長編デビュー作となる。
1970年代前半、台湾から主人公ピンリュイとその妻ジェンジェンの新婚夫婦が、夢のアメリカに移民してくる。夫婦はニューヨークで2人の子どもを育て上げたあとに離婚し、別々の後半生を歩むことになる。『タイガーテール』はこのピンリュイという男の人生にとって重要な4人の女性との関係を、度重なるフラッシュバックを用いて織り上げていく。4人の女性とは、母親、台湾時代に愛し合った女性、一緒に渡米した妻、そして娘のアンジェラの4人。特筆すべきは、主人公の母親を楊貴媚(ヤン・クイメイ)が演じていることで、1994年の『愛情萬歳』を皮切りに『河』『Hole-洞』『楽日』『西瓜』そして2013年の『郊遊<ピクニック>』にいたるまで、台湾の異才監督・ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)のミューズであり続けた女優が主人公をアメリカに送り出す役割を演じるのは、示唆に富んだ趣向と言える。
物語は1960年ころ、台湾中部の農村で始まる。国民党がさかんに反体制派狩りをおこなった恐怖政治のころである。幼いピンリュイと美少女ユアンの出会い。70年代初頭に再会した2人はすぐに濃密な関係となる。稲穂さざめく田園での出会いから、緋色に照らされた薄暗いバーで、香港の女性シンガー、ヤオ・スーロン(姚蘇蓉)の1968年のヒットソング「偷心的人」でチークを踊ったりする青年期へと変遷していく画面の流れは、なんとも素晴らしいものだ。監督のアラン・ヤンは、衣裳や美術考証についてはウォン・カーウァイ(王家衛)の『花様年華』(2000年)における60年代香港描写を参考にしたと語っている。
主人公ピンリュイ、その彼女だったユアン、ユアンを捨てて結婚する資産家令嬢ジェンジェンは、台湾ニューシネマの映画作家たちーーホウ・シャオシェン(侯孝賢)、エドワード・ヤン(楊徳昌)、ワン・レン(萬仁)、クー・イーチェン(柯一正)などーーと同世代ということになる。1940年代末から50年代初頭に生まれ、戒厳令の厳しい情勢下で育ちながらアメリカ映画やアメリカのポピュラー音楽、日本の漫画を吸収して成長した一群。恋人のユアンがピンリュイの心変わりを疑いつつも美しい声色で「(Sittin' on) The Dock of the Bay」(オーティス・レディングが事故死直前に録音した楽曲)を口ずさんでみせる夜の川岸の青い画面のたおやかさは、まさに台湾ニューシネマに対する、世代的にも地理的にも遠く隔たったアメリカ人監督アラン・ヤンの、届かぬ憧憬が込められているだろう。
フラッシュバックという甘美なガスで満たされていく懐古のソーダは、薫り高く泡立ち、ときに稲穂の緑がさざめき、ときにバーの緋色が底光りし、ときに川の流れが夜の闇を青く染め上げる。これに対し、現在時制は生彩を欠く。経済的に成功した彼らチャイニーズアメリカンたちが住む瀟洒な邸宅には、よそよそしい空間が茫漠と広がる。すっかり頑固一徹の初老男と化した主人公ピンリュイは、いつからこんなに偏狭なこわもてになってしまったのか。渡航資金目当ての気の進まぬ結婚が、彼の心を徐々にかたくなにさせたというのか。そして頑固な父と娘のギスギスした関係性の描写も、やや紋切り型にとどまる。おそらく作り手自身の生活圏に近すぎるのではないか。アメリカ人監督、アメリカ人キャストの限界か、北京語、台湾語、英語の使い分けも芳しいものではないらしい。主人公を演じたツィ・マーや妻ジェンジェンを演じたフィオナ・フーの英語は移民にしては上手すぎるのだそうだし、逆に、中国本土出身のキャストによる台湾語はまずいらしい。確執を乗り越えた父娘の和解への流れもすこし強引にやってしまった感もあるが、そのあたりはまずまず悪くない作りだ。