『麒麟がくる』はまるでファンタジーRPG? 今後の見どころは明智光秀の“弱者”としての人物像
そんな信長と対峙することではっきりするのが、本作における光秀の現代性である。雑誌『PRESIDENT 2020.3.20号』(プレジデント社)に、先日亡くなられた野球監督の野村克也の最後のインタビューが3本収録された。そのうちの1本は「日本人よ、いい加減、明智光秀を許しなさい」というタイトルで野村監督の著作『野村克也、明智光秀を語る』(プレジデント社)の一部を再編集したものだった。野村監督は生前、光秀に深い共感を示していたそうで「英傑ではあったが、英雄にはなれなかった男」だったと言う。
インタビューでは「弱者の道を歩み続けた」男と光秀を定義し、野球監督の視点から見た光秀論が語られるのだが、読んでいて「なるほど。今の日本は、織田信長でも坂本龍馬でもなく、明智光秀の時代なのだな」と思った。
光秀は謎の多い人物で、歴史の表舞台に現れるのは信長の家臣となる41歳の時で、若い時は流浪の日々で、貧困にあえいでいた時もあったという。仕える主君も転々としており、今でいうと非正規雇用の派遣社員といった感じだろうか。41歳まで安定しない立場は、就職氷河期を体験してロストジェネレーションと呼ばれた団塊ジュニア世代のようでもある。
そんな光秀が年下の織田信長の家臣となるのだが、ブラック企業のワンマン社長のような信長に理不尽な働き方を強いられ、パワハラの果てに謀反を起こしてしまうのだから、実にやりきれないものがある。
暴君だが頭の切れる信長に見出されて、下っ端の武家奉公人から天下人に出世した豊臣秀吉が戦後生まれの団塊世代のロールモデルだったとすれば、光秀はその子供世代にあたる団塊ジュニアの分身であり、格差社会で非正規労働にあえぐ人々にとっては、光秀の方がシンパシーを感じる存在だと言えるだろう。
「光秀は弱者であり、敗者だった。つまり、私たちもまた光秀になる可能性を持ち合わせている。だから私は、『人はみな明智光秀である』と思うのだ」と野村監督は評しているが、こういった光秀像を描けるかどうかが、今後の『麒麟がくる』の見どころだろう。今のところ的確に駒を進めていると思う。
■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。
■放送情報
大河ドラマ『麒麟がくる』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送
BSプレミアムにて、毎週日曜18:00〜放送
BS4Kにて、毎週日曜9:00〜放送
主演:長谷川博己
作:池端俊策
語り:市川海老蔵
音楽:ジョン・グラム
制作統括:落合将、藤並英樹
プロデューサー:中野亮平
演出:大原拓、一色隆司、佐々木善春、深川貴志
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/kirin/
公式Twitter:@nhk_kirin