新聞よ、あなたはどこへ行く? 森達也監督が『i -新聞記者ドキュメント-』に込めた“兇暴”な意図

 この文脈は、作品のもくろみをも裏切ってはいまいか? タイトルの『i』とは、一義的には望月記者の自己である。そしてそれが取材者・森の自己へと感染的にスライドし、それはやがて新聞記者という職業人全員に科せられたペナルティとしての自己性へと拡大し、さらには「今スクリーンを眺めるあなた方ひとりひとりの主体性を問うてもいる」とまで宣言するたぐいのものへと敷衍していくだろう。新聞よ、君はどこへ行く? マスメディアは権力に対する厳然たる監視装置として機能しなければならないのに、新聞もテレビもその義務を近年は放棄してしまっている。望月記者の後ろ姿が醸す孤独は、正道の孤独である。業界全体が邪道に走る中、彼女は数少ない正道の体現者である。だから『i』というタイトルは、ひたすら感染し拡大した現代日本の無責任体制を撃つための武器として仮構された「iわたくし」である。そして、そのもくろみまではいい。

 ところが仮構されたカットバック、捏造されたライバル精神の成形によって、それは1対1のマンツーマンマークの物語性へと事態があっという間に回収されていってしまう。私たち全員がすべての事柄において、私たち、彼らたちの全員を批判していかなければいけないのに、マンツーマンマークの物語性がその出鼻をくじいてしまう。逆説的に言えば、映画とはかくも恐ろしい機械だということだろう。硬軟織り交ぜて、時には愚者の頬っかぶりも辞さずに築き上げた巨大な批評性が、たったひとつのカットバックのためにガラガラと崩壊していってしまうのである。『i -新聞記者ドキュメント-』は社会派ドキュメンタリーとして、現代日本において早急に誰かが撮らねばならなかった作品である。しかし、作品じたいの振る舞いによって大きな教訓も残すものともなった。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
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■公開情報
『i -新聞記者ドキュメント-』
新宿ピカデリーほかにて公開中
企画・製作:河村光康
エクゼクティヴ・プロデューサー:河村光康
監督:森達也
出演:望月衣塑子
制作:スターサンズ
配給:スターサンズ
2019年/日本映画
(c)2019『i –新聞記者ドキュメント-』
公式サイト:http://i-shimbunkisha.jp/

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