『HUMAN LOST 人間失格』が描く、SFダークヒーローと“太宰文学”の深い結びつき 『AKIRA』『踊る大捜査線』のオマージュも
いまもなお、その作品によって多くの読者に影響を与えている小説家・太宰治。その代表作にして最後の完成作となったのが『人間失格』だ。そんな、幼少期から27歳まで、廃人になっていく一人の男の自意識を綴っていく昭和23年(1948年)発表の小説が、まさかアニメ化され、“近未来のディストピア化した日本で、異形のダークヒーローが熾烈なバトルを繰り広げる”といった内容の、SFアクション映画として生まれ変わることになろうとは、太宰はもちろん、誰もが予想できなかったことだろう。
ここでは、そんな凄まじい飛躍を見せつけた、本作『HUMAN LOST 人間失格』の内容を追いながら、太宰の小説『人間失格』との絶妙なつながりについて語っていきたい。
本作の起点になっているのが、スーパーバイザーを務めた本広克行。作中の徹底した管理・監視社会のイメージは、自身が総監督を務めたアニメーション作品『PSYCHO-PASS サイコパス』を連想させるところが多い。
そして監督は、『アフロサムライ』で国際的な評価もある木崎文智が担当。フル3DCGによるアニメーションは、『GODZILLA 怪獣惑星』シリーズや『Star Wars: Resistance』などの大作が続くポリゴン・ピクチュアズが制作している。
なかでも“肝”となっているのは、太宰の文学性と日本のSF、CGによるアクションの魅力を併せ持った脚本を書くことを依頼された、小説家・冲方丁であろう。この難題を突きつけられながら、物語を成立させた冲方の今回の仕事は、本作に大きく貢献している。
舞台となるのは、医療制度が発達し、“無病長寿大国”となったことで、元号が継続し続けている“昭和111年”の日本。その高度な医療システムとは、無線ネットワークを利用し、遠隔から適切な医療行為や体調管理を迅速に行うというもの。これによって日本国民は、半ば“死”から解放されているのだ。
そんな医療革命により、1日19時間もの労働が実現したことで、本作の日本は、再び経済的な繁栄を実現している。死なないで延々と働き続ける……。それは一般的な労働者たちにとって、とんでもないディストピアである。さらに環境に配慮しない経済活動が続いたことで深刻な汚染が進み、特権階級の住むクリーンなエリア“インサイド”の外側では、労働者たちがガスマスクを装着して職場に通勤している状態だ。
長寿や勤勉さを誇る国民性というのは、もともと日本が強みとしていた部分だったはずだが、それらがここではグロテスクなものへと変貌してしまっているのが面白い。環境保護の軽視や、残業が当たり前となっている状況、経済格差など、現在の日本の社会問題が何一つ解決されないまま、経済発展に執念を燃やし、行き着いた先が、この悪夢のような長寿・労働社会なのだろう。そんな皮肉めいた設定が、われわれが生きる現実の社会への痛烈な風刺となっている。
そんな日本で繰り広げられるのが、市民を管理する当局と、若者たちを中心とする反逆者のグループとのバトルだ。前半の見どころとなるのが、『AKIRA』を想起させる、未来型バイクに乗ったチームの暴走シーン。持たざる者たちである彼らは、包囲網を突破して、富裕層の暮らす“インサイド”に突入しようとする。その入り口となっているのがレインボーブリッジ。当局は暴走チームの侵入を防ぐべく、そこを封鎖しようとする。この描写は、本広克行監督の『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 』のセルフオマージュともなっていて、楽しい部分だ。
そして木崎文智監督の、容赦のないバイオレンス演出が鮮烈だ。異形のヒーローと警察の装備との競り合い、そして異形 VS. 異形の凄絶な戦闘など、かすり傷などでは済まない攻撃の応酬によって、緊張感と終末感が強められている。
物語の面では、このようなアクションや近未来の社会の描写が散りばめられつつも、太宰の『人間失格』を踏襲し、主人公・大庭葉蔵(原作では葉蔵)の自意識がテーマとなっているのが特徴的だ。そして、原作に登場する登場人物の名前が、本作のキャラクターに対応し、その性質を受け継いでいる。余裕があれば、小説を読んでから本作を鑑賞すると、より深くまで楽しめるはずである。