“天気の子”と“転機の子”が出会うーー『天気の子』に描かれる自分たちだけの「セカイ」

 少年が出会うのは、祈ることで雨空に晴れ間を生み出す力を持った少女だ。彼女が晴れ間を呼び出す瞬間での“出会い”の光景は、燦々とふたりに陽光が降り注ぎ、まさに神秘的である。しかし、「出会い」というものはいつだって神秘なのだ。それは何によって関係づけられているのだろうか。私たちは、その秘密を知らない。“祈りで天候を変えることができる”ーーふたりはこんな「世界の秘密」を共有することになるわけだが、「世界」とは未成年の少年少女にとってあまりに大きすぎるし、手に負えるものではない。

 彼らは雨の降り続く東京で、晴れ間を望む人たちのために“晴れ女ビジネス”なるものを開始する。しかし、誰かの望みを叶えるということは、他方、誰かの望みを無視してしまうことにもなるはずである。そうなれば、とうぜんどこかで代償を支払わなければならないだろう。この代償とは、彼らが世界の秩序を変えてしまうことに対してではなく、もっとシンプルなところにあるのだ。「世界のかたちを変えてしまった」と少年は言うが、ここで彼の口にするその「セカイ」とは、一般的な「世界」とは異なるように思える。ひとりの孤独な家出少年が、居場所を見つけた自分自身と、大切な誰かの存在との“関係”のことであるように思えるのだ。他者から与えられる想いや、自身のなかで育まれる感情は、知恵袋で知ることなんてできなやしない。

 なにか欲しいものを手に入れるためには、ときに犠牲が必要であることは誰もが知っている。それは、そこで選び取らなかった「何か」だろう。少女は、少年が自ら選んだ自分の居場所である世界のために自身を犠牲にするが、少年は世界よりも、たったひとりの少女を選ぶ。“世界 or 大切な誰か”ーーそんな天秤が目の前にあったのならば、おそらくほとんどの人が、「誰か」の方に重みがあることを願うだろう。もちろん、質量としては世界の方が重いに決まっている。しかし、そういった差し迫った状況にでもならなければ、なかなか「誰か」の存在の重みに私たちは気がつくことができないのだ。

 自らの選択・行動から生まれる転機。少年はつねに転機を生み出す、“転機の子”なのである。だが、天気がみなに対して平等に存在しているように、転機もまた、私たちにも平等に与えられているはずである。少年は、そのチャンスを絶対に逃さない。ほんの16歳の少年が、人生を棒に振ってまでも、そして、世界とを天秤にかけてまでも会いたい大切な誰か。彼が守りたいのは、“自分たちだけの「セカイ」”なのだ。家出少年の家族は、最後の最後まで姿を見せることはないが、重要なのは「血」のつながりではないのである。誰かへの胸焦がすひたむきな想いというものは、天を越え出て、やがて此岸と彼岸との境界までをも越境し、つながるのだ。本作に見られる人々の強いつながりに、そう思い知らされる。いよいよ私たちの街にも、本格的な夏がやってくる。

■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。Twitter

■公開情報
『天気の子』
全国東宝系にて公開中
声の出演:醍醐虎汰朗、森七菜、本田翼、吉柳咲良、平泉成、梶裕貴、倍賞千恵子、小栗旬
原作・脚本・監督:新海誠
音楽:RADWIMPS
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:田村篤
美術監督:滝口比呂志
(c)2019「天気の子」製作委員会
公式サイト:https://www.tenkinoko.com/

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