“天気の子”と“転機の子”が出会うーー『天気の子』に描かれる自分たちだけの「セカイ」

 『君の名は。』の公開から早3年。新海誠監督が巻き起こした社会現象は、いまだに続いている。その余韻があちこちに感じられるなか封切られた最新作『天気の子』は、前作と同様に東京の街を写実的に描き出しているが、そこで起こることがいくら非現実的なものであろうとも、アニメーションだからこそ実現できる大胆さで、私たちの生きる世界にも奇跡はあるのだと教えてくれる。

 今年は梅雨が長い……映画が終わったら、聖地巡礼に行こう。いざ、歌舞伎町へ! そんな、ユルくて軽い心持ちのまま、劇場ソファに腰かけ観はじめた『天気の子』。未成年の少年少女が徘徊するには、歌舞伎町とはちょっとばかり危険なもので、映像から見て取れるように、ひじょうに猥雑な雰囲気だ。そんな欲望うずまくくすんだ世界で出会い、大きな世界のくすみに一筋の光を与えるのが、少年少女の倒錯的とさえ思える強い想いなのである。

 離島から家出をしてきた16歳の少年・帆高は、東京・歌舞伎町へとたどり着き、そこで生活をはじめる。しかし生活とはいえ、まともな暮らしとはとうてい言えないものだ。ネットカフェで孤独な眠りを手に入れるのがやっとである。自らの“大きな選択”には、それなりに大きな責任がともなう。彼が自由と引き換えに手にしたのは、圧倒的な孤独感だったのだ。それを助長するかのように、東京では連日雨が降りつづける。そんなある日、少年はとある力を秘めたひとりの少女と出会うのだ。

 16歳で家を飛び出し、単身上京。それも真っ先に向かったのが歌舞伎町とは、あまりに無知で無謀だとしか言いようがない。しかし同時に勇敢でもある。なぜ彼が故郷を飛び出すという選択を取ったのか、その明確な理由は劇中で語られることはないが、思春期の少年の心とは、そもそも不可解そのものだ。自分自身の半生を振り返ったときに、“なぜ、あのような行動に出たのか?”という疑問は、誰しも限りなく胸に秘めているものではないだろうか。私たちの赤面必至の黒歴史を、彼の行動と重ね合わせてみればいいのだ。重要なのは少年が、理解不能、驚天動地の思いきった選択・行動のすえ、さらに人生を大きく変えてしまう、大切な「誰か」との出会いを果たしたことにある。

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