『トイ・ストーリー4』なぜファンが戸惑う内容になったのか? 作り手のメッセージから読み解く

 本作のラストでは、「何で生きてるんだろう?」という“問い”が投げかけられる。『トイ・ストーリー3』までならば、「それは子どもを喜ばせるため」という明確な答えが用意できたかもしれない。だが本作はその問いに対し、「何でだろう…?」という、答えにならない疑問が発せられて終わっている。自由意志を獲得したおもちゃたちは、すでに人間と同等の存在である。人間がどんな生き方をも選ぶことができるように、おもちゃもまた、無限の選択肢が与えられることで、唯一の目的を失ったのだ。

 自分が存在する明確な理由がないということは、たしかに不安だ。与えられたレールを失い、道なき道を走っていくことは、危険だし失敗も多いはずである。しかし、だからこそ生きる実感や価値があるといえるのではないだろうか。

 シリーズのファンが戸惑い、居心地の悪さを覚えるのは、このような哲学的とすらいえるメッセージが、これまでの作品に内在していた無自覚な圧力を暴き出してしまっているからだろう。その事実を突きつけられることで、いままでのファンであればあるほど、本作に責められているように感じてしまうのである。だから、「このシリーズでこういう内容は描かないでほしかった」という声が挙がることになってしまう。

 そんな観客をフォローする意味として、ウッディと同じように“古いおもちゃ”である、ギャビー・ギャビーというアンティーク人形が登場する。彼女は子どもに遊んでもらうという、本来の使われ方を経験することがなく、それでも本来の役割を果たすことに執着しているキャラクターだ。そんな彼女の生き方を批判的に描かないことによって、本作はレールから外れない生き方をも肯定している。なぜなら、それもまた多様な生き方のひとつであるからだ。つまり本作は、これまでの作品を否定するというよりは、描きくわえていると表現した方が正確かもしれない。

 物語を“きれいにまとめあげる”ことと、“真実を伝える”ということは、ときとして反発することがある。なぜなら、真実は脚本の都合に合わせて、かたちを変えてくれるようなものではないからである。

 作り手は、本作がこれまでのファンにショックを与えるかもしれないことを予期できていたはずである。だがここでは、そのようなリスクを引き受けながらも、作り手が本気で信じている、“自由に生きよう”というメッセージを観客に、子どもたちに伝えようとしている。それは、なんと真摯な姿勢だろうか。

 『トイ・ストーリー』第1作から中心となり、常に作品の方向性を示していたジョン・ラセターは、スタジオを去った。そんななかで完成した本作は、それでも作品づくりの魂を痛いほどに叩きつける長編アニメーションとなった。その意味で、新たな可能性に踏み出すことを宣言した『トイ・ストーリー4』は、ラセター無きピクサーの新たな出発にふさわしい作品であるともいえるだろう。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

■公開情報
『トイ・ストーリー4』
全国公開中
監督:ジョシュ・クーリー
製作:ジョナス・リヴェラ、マーク・ニールセン
日本版声優:唐沢寿明、所ジョージ、戸田恵子、竜星涼、新木優子、チョコレートプラネット(長田庄平、松尾駿)ほか
日本版主題歌:「君はともだち」ダイアモンド☆ユカイ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
公式サイト:https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html

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