『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』今再び蘇る理由とは ミュウツーが体現する現代社会の暗部
“HEY! そこのボーイ!……ポケモンバトル、できるかなァ?”
およそ21年ぶりに、劇場内に響き渡ったセリフである。現在も放送が続くTVアニメ『ポケットモンスター』(略して『ポケモン』)の、劇場版第1作目である『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(1998)。そのリメイク作としてフル3DCG化された『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は、かつてポケモン少年/少女だった者たちの胸をふたたび高鳴らせるとともに、改めて全世代に大きな問いを投げかける。
1990年生まれの筆者も例に漏れず、ポケモンマスターを目指し旅に出て(ゲームボーイに向かい)、熱中し、熱狂し、やがて発狂したひとりである。当時は多くの子どもたちがそうだった(もちろん大人もいただろう)。しかし、気がつけば、いつしかポケモンたちとの旅から私は降りてしまっていた。“ポケモントレーナーとは冒険者である”というのは劇中でも語られる言葉だが、かつては冒険者であったはずなのに、その心をいつしか失くしてしまったのだ。これが人間としての成長に依拠するものなのかは分からない。ただ現在は、あの血が沸き立つほどの日常をサバイブする感覚は稀薄であり、うまい具合に乗りこなしているだけである。それはポケモンたちと離れ、彼らを忘れ、時が経つほどに強まっていく感覚だ。そんな中で公開された本作は、いま一度、あの冒険者の感覚を思い出させてくれるのである。
映画について文字を綴る職にありながら、とくに幼少期の頃より映画と深い関係にあったわけではない筆者にとって、7歳の頃に観に行った『ミュウツーの逆襲』は、劇場という暗闇の中での原体験のひとつとなっている。当時は映画館での立ち見が許容されており、本作を鑑賞したときには座席横の階段までをも、ポケモントレーナーの卵たちが占拠していたほどだった。主人公・サトシの前に立ちはだかる、最大にして最強の敵であるミュウツーとの激闘を、誰もが目を輝かせて見つめていたのである。その中で、隣席で涙をボロボロとこぼしている母の姿が、いまだに強く印象に残っている。その涙を目にして、幼いながらにようやく心のうちに何か込み上げてくるものがあった。そのようにして、『ポケモン』を通して何かを学んだ方は筆者だけではないだろう。今回のリメイクによって、そんな光景が、あの感情が、まざまざとよみがえってくるのだ。