『なつぞら』が教えてくれる“家族”の形 朝ドラ恒例の美味しい食べ物にも注目
もともと柴田家の人々となつ(広瀬すず)の間には、いわゆる血のつながりがあるわけではない。とはいえ、今ではすっかり柴田家の1人として生きているなつ。朝ドラではヒロインと、その家族の間に生まれるエピソードというのは、しばしば見どころのひとつとなるわけだが、『なつぞら』(NHK総合)で描かれる「家族」の物語もなかなか興味深い。
学校から帰ってきて、一日の出来事を話して盛り上がる。心の中に抱える悩みや不安を打ち明けて、お互いに寄り添いあう。あるいは、意見が対立したときに自分の言いたいことを言い合う。こうした日常のワンシーンは、ドラマや映画といった物語の世界に限った話ではなく、私たちが生きる現実の家族の中でのやり取りでも見られることだ。私たちは普段、当たり前のように家族と笑いあい、慰めあい、喧嘩をする。逆に言えば、一緒に楽しみや悲しみを共有できたり、夢を応援したいと思えたりする関係にあるのならば、「家族」になれる余地は十分にある。
第22話の妙子(仙道敦子)との会話の中で、富士子(松嶋菜々子)は「母さんやみんなに親切にされている」となつから言われたことを明かしていた。未だになつとの間には――富士子の言葉を借りれば――「壁」を感じているという。だが、そのシーンで印象的だったのは、富士子が次のように口にしていたことである。「でもいいの、それが私たち親子だから。何年一緒にいたって、“本当の母親”にはなれっこないもの」。自分たちが特別な関係にあるということを、彼女は分かっているのだ。同時に、富士子はその特別な間柄で自分は何ができるか、どうあるべきかについても理解しているのだ。先の台詞のあと、富士子はさらにこう続ける。「だから、私はあの子を応援するだけでいいの。“精一杯あの子を応援する人”でいたいのよ」。
確かに富士子の言うように、そこには今でも「壁」があり、富士子は“本当の母親”にはなれないのかもしれない。そうだとしても、柴田家は今のなつにとっての大切な「家族」としての一面を持ち合わせているはずだ。そこに何とも言えない「壁」があれど(いや、むしろ「壁」という曖昧さがあるからこそ上手くバランスがとれているのかもしれない)、自分のことのように楽しむことができ、“頑張ろう!”と思え、ワクワクできる何かがある間柄。たとえ括弧つきであったとしても、それもまたひとつの「家族」であることを、『なつぞら』は教えてくれている気がする。