“あるがまま”を見つめる無垢な瞳ーー『幸福なラザロ』が訴えかえる“幸福”とはなにか?

 スーパー16mmフィルムに捉えられた127分の映像には、前作『夏をゆく人々』と同様に、やわらかな陽光に照らし出された美しいロケーションや、人間と動物が織り成す奇跡的な瞬間がいくつも収められている。だがしかし、そこには期待していた「幸福」は描かれていないように思えるのだ。では改めて、この映画から感じられる幸福とは、いったいなんなのだろうか?

 それはやはり、安全地帯である客席からラザロを見つめる者たちだけに許された、私たちのなかに一方的に芽生えてくるものでしかないのだ。たしかに本作には多幸感が溢れているが、それは、映画そのものから発されたものではなく、あくまで、“あるがまま”を受け止めるラザロの、「無垢な瞳」の優しさにあるように思える。これは映画の冒頭、そして幕切れ直前まで作品を満たす、のどかな環境音が象徴的であるが、ラザロとは、まさに自然そのものとも言い換えられるのではないだろうか。進みゆく文明と、そこにとどまり続ける自然。彼はそれらに対し、絶えずひとりでまなざしを向け続けているのである。

 やがて、ラザロのその「無垢な瞳」を、スクリーンを通して覗き込むことができることこそが、私たちにとってのひとつの、「幸福」といえるのではないかという考えに思い当たる。この「無垢な瞳」について考えを巡らせることができるうちは、自己/他者の幸福についての再考の余地が、まだ残されているのだ。そう、ラザロの存在は穏やかに、だけれども、厳しく訴えかけてくるのである。

■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。Twitter

■公開情報
『幸福なラザロ』
Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル
出演:アドリアーノ・タルディオーロ、アニェーゼ・グラツィアーニ、アルバ・ロルヴァケル、ルカ・チコヴァーニ、トンマーゾ・ラーニョ、セルジ・ロペス、ニコレッタ・ブラスキ
配給:キノフィルムズ/木下グループ
原題:Lazzaro Felice/英題:Happy As Lazzaro/日本語字幕:神田直美/2018年/イタリア/イタリア語/127分/1.66:1
(c)2018 tempesta srl ・ Amka Films Productions・ Ad Vitam Production ・ KNM ・ Pola Pandora RSI ・ Radiotelevisione svizzera・ Arte France Cinema ・ ZDF/ARTE
公式サイト:lazzaro.jp

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