菊地成孔の『グリーンブック』評:これを黒人映画だと思ったらそりゃスパイクも途中退場するよ。<クリスマスの奇跡映画>の佳作ぐらいでいいんじゃない?

つまりこう云うことだよブラザー

 合衆国には映画におけるヒップホップがある(「ヒップホップの映画」ではない。ラッパーの伝記映画とかね)。スパイクをそのオールドスクラーとし、バリー・ジェンキンスをニュースクーラーとし「ブラックパンサー」は、ブランニュースクーラーだとする(あれはマーベルだからヒップホップ映画の筈ねえじゃん。と言われても仕方がないんだが、詳述は後ほど、あれはブランニュースクラーで良い)。そして、やっと新旧の才能が激突し合うバトルフィールドでありプレイグラウンドである、即ち、「ヒップホップの場所」がやっとAAAに設けられたのである。そんなもん、クルーが全員ガチンコになるのが普通の話だろ。

そしたら(笑)

 全然ヒップホップじゃない、白人様ご謹製である「ニューヨークのクリスマスの奇跡」映画が、鳶が油揚げをさらう格好でオスカーをさっと持って行ってしまったのだ(笑)。スパイクは、作品賞が本作に決まった瞬間、会場を後にしている。ハメられたなプロフェッサーS(笑)。しかしだ。ラッパーの端くれとして言わせてもらうけど、例の「ホワイトアカデミー」発言をちゃんと聞き入れてもらったとでも思ってホットになったんだとしたら、悪いがヤキが回ったとしか言いようがないね(笑)。

 と云う長い前提を読んで頂かないと、本作の意義も完全には通じない。ストーリーの評価だけするなら、これは善人ばかりが出てくる、心温まる作品。それだけだ。

ストーリーはワンツイストのみ

 アフロ・アメリカンとイタリア移民の友情。いろんな描き方があるだろうが、ここではアフロ・アメリカン(以下、「黒人」)がインテリジェントでハイプライドなVIPで、イタリア移民(以下「イタリア人」)が、まあ、ブラザーである。というか、この話は実話ベースだ。北欧人とカナダ人のハーフである、ヴィゴ・モーテンセンが、ここまでイタ公役を見事に演じたのには(いくら幼少期に南米でスペイン語で育ったとはいえ)驚きを禁じ得ない。他国人で、ここまでナスティなイタ公を演じられるのはピエール瀧以外考えられない。

 っつうか、この話は実話ベースである。イタリア人トニー・バレロンガは、トニー・リップ即ち、『ゴッドファーザー』『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』グッドフェローズ』とか、テレビドラマとかで「この人、役者じゃないでしょう。本物でしょう」というギャング役を演じた洒落者であり、ニューヨークの伝説のナイトクラブ「コパカバーナ」で店長だった人物だ。

 まあまあ普通に人種差別主義者だった彼が、少なくともアフロ・アメリカンに対する偏見を捨てる旅をこの映画では描いている。ニューヨーク発の旅は、2ヶ月かけて(実際はもっとずっと長い)、ニューヨークのクリスマスというゴールに向けて走り出す。

 Dr.ドナルド・シャーリーの演奏や音源が、今、YouTubeで気軽に聞けるのかどうか筆者はまだ試していないが、多くのアメリカ人のうち、ジャズファンは彼を、「クラシック出の癖に、お高く止まったジャズまがいをやっている」と思っているし、クラシックファンは「時代が時代で、クラシックをやらせてもらえなかった、黒人クラシックピアニスト」と思っている。

劇中の彼の演奏の「?」感が

 この作品のアウラを一段上に引き上げる。ネタバレはしたくないが、クライマックスの(それはとても感動的な)演奏シーンまで、彼と、ドイツ人のコントラバス、ロシア人のチェロのトリオが、ディープサウスで演奏している音楽のジャンルが、なんだかわからないだろう。ここのきめ細やかな音楽考証が、本作をして、凡百の(と言って良いと思う。これは最高の意味で、小さな映画であり、心温まる佳作以上でも以下でもない)異人種間ヒューマンドラマを超え、迫真の何かを付与している。「?」の連続が、推測上のサスペンスを生み、やがてクライマックスで爆発する構造は、音楽家を扱った映画史の中でも、類例が全くない。

 音楽以外にも建築や心理学も修め、カーネギーホールの高層階に住まうセレブリティ黒人が、敢えてディープサウスを、タキシードに身を包み、欧州人をバックに、明らかにクラシックタッチの、作曲作品としてのジャズ風クラシックを演奏する。

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