センセーショナルで深い意義があるオムニバス映画に 『21世紀の女の子』が意味するもの

『21世紀の女の子』が意味するもの

「女の子だけが本当の映画を撮れる」

 こんな印象的なフレーズが飛び出すのは、80年代後半~90年代生まれの女性の映像作家たちが集結したオムニバス映画『21世紀の女の子』だ。この妄執的とも観念的ともいえる言葉が象徴する、異様な雰囲気を持った本作は一体何なのか? ここでは、その意味するものを考察していく。

 本作『21世紀の女の子』を主導しプロデュースしたのは、『おとぎ話みたい』(2013~4年)、『溺れるナイフ』(2016年)などで規格外の特異な才能を見せつけた、いまの日本映画界で最も才気走っている山戸結希監督だ。全15作の監督を務めたのは、全員が女性の若手監督である、山戸結希、井樫彩、枝優花、加藤綾佳、坂本ユカリ、首藤凜、竹内里紗、夏都愛未、東佳苗、ふくだももこ、松本花奈、安川有果、山中瑶子、金子由里奈、玉川桜。本作は、“自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること”を共通のテーマとした上で、彼女たちによって、それぞれ8分以内で自由に撮られた作品群だ。

 8分という時間で映像作品を撮るのは、かなり難しい。この構成に近かったのが、ジャン=リュック・ゴダール、ベルナルド・ベルトルッチ、チェン・カイコー、ヴィム・ヴェンダースら、各国の巨匠監督たちにそれぞれ10分の短編を撮らせて15本のオムニバスとした、『10ミニッツ・オールダー』(2002年)である。もちろんというか、そのなかでは、各々の監督の代表作に拮抗できるような作品が生まれ出ることはなかった。

 一般的なTVアニメの放映時間は、CMなどをカットすれば実質24分、1時間枠のドラマは53分ほど。そこから考えれば、この8分という時間が、いちからドラマを構築するには短すぎることが分かるだろう。さらに「帯に短し、たすきに長し」で、CM作品のようにワンアイディアのみでインパクトのある映像やシチュエーションを作り上げるだけでは、間が持たない時間でもある。あえて最も近いジャンルを挙げれば、ミュージックビデオの長さというところか。

 巨匠でも持て余す難しい仕事を、比較的キャリアの浅い監督たちが傑作にできるかというと、厳しいところがある。実際、本作に収められた15作品全てを「楽しんで観られる」と言うと嘘になってしまう。共感できたり引き込まれる作品もあるが、なかには舌っ足らずで理解し難いものや、印象に残りづらかったものもあった。

 逆に、それが複数監督によるオムニバス作品の楽しみの一つでもあるだろう。これは、いわば映画祭のコンペティション(競い合い)部門のミニチュアのようなものだ。本作を見終わった観客が、出来によってランキングをつけたり、「あれが良かった、いや、これは良くなかった」などと議論して盛り上がることもできる。とはいえ、それは当たり前といえば当たり前の話である。本作が真の凄さを見せるのは14番目の作品である、山戸結希監督の短編『離ればなれの花々へ』に至ってからである。

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