田中圭ブレイク、異色の朝ドラ『半分、青い。』……2018年振り返るドラマ評論家座談会【後編】
『半分、青い。』は“恋愛ドラマとしての朝ドラ”を壊した
横川:僕、あまり追えていなかったんですが、『半分、青い。』はなぜあんなにも賛否が分かれたんですか?
西森:私は『半分、青い。』かなり好きでした。主人公が好きなことを言ってるのを見て自由に感じる派と、それに付き合わされる自分を想像してしんどい派か、だと思うんです。『まんぷく』の鈴さん(松坂慶子)を見てどう思うかと一緒で、鈴さんも好きなこと言ってるけど、好きなこと言ってる人の方が楽だなって思う人は、鈴さんと鈴愛ちゃん両方好きなんじゃないかな。私は鈴さんがいないと『まんぷく』見てられないかもと思うくらいなので。
成馬:朝ドラって、去年の『ひよっこ』で進化が終わったと思ってたんですよ。あとは反復になると思っていたら、『半分、青い。』が出てきて驚きました。でもあれは、朝ドラであることよりも、脚本を担当した北川悦吏子が復活したことの方が大きいと思います。
2010年代の北川さんは『素直になれなくて』以降、作品数が減っていて、時代の流れとあまり噛み合ってなかったのですが、時代を巻き戻して、舞台を近過去にすると、まだ恋愛ドラマも描けるんだということを証明した。『半分、青い。』は、北川さんが今までやってきた恋愛ドラマのあの手この手を全部持ち込んだことが、結果的に朝ドラのフォーマットを崩すことにつながったのだと思います。だから、時代をどう見せてくかはすごく興味がありましたね。僕も鈴愛ちゃん好きでしたよ。どこにも所属できなかった、団塊ジュニアの恨み節を感じるというか。
西森:ロスジェネの生き方なんて、あんなもんだぜ、というか。何かやってみたけど挫折して、また次をやってみての繰り返しで。いろんなことに手を付けるのはドラマではNGだったかもしれないけど、実はリアルな人生では普通にあることですし。
成馬:ぶつ切り感が逆にリアルだったのかもしれないですね。
横川:確かに、自分の20代でやってたことが40代に繋がるかと言ったら繋がらないことの方が多いし。
成馬:律くん(佐藤健)がいるにもかかわらず、鈴愛がその都度その都度別の恋人ができるのも面白くて。1人の人と結ばれなきゃいけないという恋愛ドラマとしての朝ドラみたいなのは明らかに壊してくれましたね。あともうひとつは才能の問題。漫画家になれない理由が結婚とかではなく、単に才能がないというのがすごい。朝ドラで仕事を辞める時は、大体、旦那を支えるとか戦争といった理由なんだけど、本人の問題でしかないのが『半分、青い。』でした。
西森:鈴愛は、自分のために生きてるんですよね。そういうところは、これからの朝ドラには必要になってくるのではないかと。やっぱり、今、人のために生きてることを描くと、抑圧的に見えてしまうんですよね。だから、『まんぷく』ではその役割を鈴さんが担ってくれていると。
成馬:志尊淳も良かったですね。でも、やっぱりイケメンしかうまく使いきれていないというか、「僕って魔性のゲイなんです」というセリフも今だと難しいし、矢本くんを活かし切れてないのは少し不満ですね。
西森:志尊さんは『女子的生活』があったからこそ、スタッフ以上に、考えぬいて演じたとインタビューでも語っていましたね。
横川:北川さんの作品は90年代感を拭えないんですよね。人を傷つけたり、笑いの取り方にある鈍感さが、2010年代の終わりには全然合ってない感じがして。『高嶺の花』の野島伸司とあわせて、90年代にトップ取った人が、時代に合い切っていなかったなと。
成馬:平成のお葬式だと思えば納得できるんですけどね。あれが「今の時代の話です」と言われたらちょっと違うと思うけど。
西森:ただ、『半分、青い。』に関してはさっきも言ったとうに、抑圧的なものがなかったので、完全に古いとも言えない気もしています。私は抑圧されてる人を見る方がしんどくて、『けもなれ』の最初のガッキーとかまさにそうですよね。そのガッキーが最終回に向かって、自分で抑圧から解放されていくのが今だなと思うので。鈴愛ちゃんはキャラとしては“今”って感じがしました。
横川:鈴愛は、北川作品でいうと『ロングバケーション』の葉山南とかに持っているものは近いですよね。あの頃、可視化されてなかっただけで葉山南をむかついてた人もいるのかもしれないけど、今だとこんなにも賛否が分かれるところに面白さを感じたんですよね。昔だったらその口をつぐんでた層が、声を出してNGと言えるようになったというか。
西森:そうですね。キャラとしては奔放な感じは変わってないかもしれないですね。トレンディドラマ全盛の頃は、まだ私も、自由奔放なキャラの方をウザいと思っていたかもしれません。今は、南も好きに生きればいいやん、派ですけどね。