松江哲明の“いま語りたい”一本 第35回

山田孝之の“本気”が観るものを揺さぶるーー『ハード・コア』は山下敦弘×向井康介の集大成に

 監督の山下(敦弘)くんと脚本の向井(康介)くんとは僕もデビューが同じ年で、今年で20年。本作『ハード・コア』は、20年間映画を作り続けてきたからこそ到達できる作品になっていると感じました。今の社会に本当に必要なこととは何か、それを山下×向井コンビが問いかけた集大成にして、完璧な1作だと思います。

 原作は、いましろたかしさんと狩撫麻礼さんによる伝説のコミック『ハード・コア 平成地獄ブラザーズ』。山下くんと向井くんがいましろさんの作品を大好きなこともあり、初期作からその影響はありありと出ています。例えば、『リアリズムの宿』のラストシーン。主役の長塚圭史さんと山本浩司さんに、尾野真千子さんが手を振るんですが、あのシーンはいましろさんの初期作『中野の友人』(『ハーツ&マインズ』収録)を基にしています。後に『週刊真木よう子』(テレビ東京系)で『中野の友人』を実写化してもいますが、山下作品の根底にはいましろイズムがあるのです。僕もプロデューサーとして参加した『あなたを待っています』(監督:いまおかしんじ)もあるのですが、主演の大橋裕之さんを含め、いましろさんが好きすぎる人たちが集まってくれました(笑)。

 今までの作品ではそれをさり気なく入れていて、それが山下くんの味にもなっていたんですが、原作であるという以上に『ハード・コア』は全シーン全カット、いましろイズムを隠す気がないというか、好きなことを徹底的にやっている。だからこそ、2人にとってひとつのけじめとしての映画になっているのかなと感じました。デビュー作の『どんてん生活』から“何も変えていない”のではなく、“変えられない”のが、今の2人が映画に向き合うスタンスだったんだな、と。

 一方で、20代ではなく、キャリアを積み上げてきた2人だからこそ描くことができたと思うシーンが随所にあります。例えば、キャバクラでのダンスシーン。おそらく、若い頃であれば、俯瞰ショットでその滑稽さをシニカルに映していく、という手法だったと思います。でも、本作ではダンスの輪の中にカメラが入っていって、煽りつつもさらにグルグル回ってて本当に楽しそうに撮っているんです。自分が撮りたいものへの照れがなくなったというか、本気で好きなものは隠さなくていいと思えるようになったというか。本作のキャッチコピーにもある、「俺たちは空だって飛べるんだ」というのは荒唐無稽ではあるんですが、「空を飛べて何が悪い」という、山下くんと向井くんの本音が表現されているように感じました。

 当たり前と思っていたものが突然消えたり、一緒にいた仲間と別れざるを得ない状況になったり、ずっと続くと思えたものがなくなっていくこと、40歳を超えるとそれをありありと実感します。楽しい時間は一瞬、なら素直に楽しまないとダメだよねと。

 本作の物語は、あまりにも純粋で世間に馴染むことのできない“アウトロー”である右近(山田孝之)と、右近の唯一の友人であり社会から弾き出された男・牛山(荒川良々)が、謎のロボット・ロボオを発見したことにより、その運命が動き出していく、というものです。

 右近はハロウィンの仮装をした“リア充”の若者たちに苛立ち、ちょっと素敵だなと思っていたOL(松たか子)が、彼らのノリに乗っかり、キスまで許したことに怒りを爆発させます。はっきり言って右近は間違っています。「こっちが遠慮してるんだろうが!」と叫びますが、怒りの矛先はリア充や雰囲気を壊さない女性ではなく、ふがいない自分なのです。何の行動もできず、ただ酒を飲んで、孤独に耐えてることを良しとしてることに、右近は苛立ちを感じている。原作コミックでは、いましろさんの絵柄もあって、その真っ直ぐさはギャグに見えていました。でも、その行動が間違っていない/間違っているではなく、自分の正義を貫き通す右近の姿に否応なく惹かれてしまうんです。なぜならマンガの『ハード・コア』と出会った頃の僕はまさにそんな人間でしたから。きっと山下くん、向井くんも同じだったと思います。

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