豊田利晃監督の本当の意味での“復帰作”に 『泣き虫しょったんの奇跡』で再び放たれた輝き

小野寺系の『泣き虫しょったんの奇跡』評

しょったんの“奇跡”が導いた、新たな世界の描き方

 頭脳ゲームに過ぎない将棋の世界を描いた本作が、多くの観客にとって無視できないのは、それが圧縮した人生のモデルに見えるからだ。かなり多くの人が幼いときに、プロスポーツ選手やアイドルなど競争率の高い職業につく夢や理想を思い描いたりするが、それがそのまま叶うのは、ごく一部の人間のみである。限られたチャンスに努力の成果をぶつけ、将棋の「感想戦」のように失敗から学び、成功へと結びつけなければならない。才能の無い者はもちろん、言い訳を見つけ努力を怠る者や、美学やプライドを捨てることができずに精神の弱さを見せる者は、機会を無駄にしてしまい、徐々に当初の夢を諦めていくことになる。

 娯楽映画としては、やりすぎだと感じられるほど、この胸の痛くなる厳しさは真に迫ったものだ。そこでは間違いなく、豊田監督自身がかつて「奨励会」に入会し、プロになることを断念した経験が下敷きになっている。豊田利晃監督の映画界でのキャリアは、将棋映画から始まっている。弱冠21、2歳で阪本順治監督の『王手』(1991年)の脚本を書きあげ、作品を成功へと導くという快挙を成し遂げたのは、もちろんその数々の引用元であっただろう、伊藤大輔監督の名作将棋映画『王将』(1948年)の存在は大きいと想像するが、豊田監督自身の濃密な人生体験があったためであることも確かなはずだ。そして、そこで目の当たりにしたに違いない、若者を押しつぶしていく残酷な現実のシステムは、その後の豊田監督の青春映画に強く影響を与えているように感じられる。

 さすが、豊田監督の「懐刀(ふところがたな)」といえる将棋映画ということで、本作の絶望的な青春の切れ味は鋭い。だがさらに、本作はいままでにない展開が用意されている。〈3〉幕目のパート、つまり絶望の後のリベンジ戦があるのだ。プロになることができなかった「しょったん」は、一般的な会社のデスクワークの仕事をこなしながら、将棋のアマチュア名人となり、プロとの交流戦によって連勝するという快挙を成し遂げたことで、将棋界を変革するかもしれない状況を作り出したのである。結果を出すことによって、年齢制限に達した者は絶対にプロ棋士になれないというルールの存在意義を揺るがしたのだ。

 それはプロになれなかった多くの将棋ファンや、かつて自分の夢を諦めた人々に希望を与える“奇跡”でもあった。泣き虫で優しい心を持つ「しょったん」は、自分のためにだけでなく、そんな多くの人々の期待や夢を背負うことで、新しい将棋の指し方に目覚め、運命の六番勝負に挑むことになる。この状況が指し示しているのは、現実はいつでも残酷なわけではないという“事実”である。

 大人になったからこそ、直線的でない新たな選択肢が生まれ、このような奇跡が目の前に現れた。現実の壁に押しつぶされ敗残したことすらも、ここでは意味をともなって「しょったん」を助けている。絶望をくぐり抜けて大人になることには「意味」があったのだ。まさにこの事実が描かれる瞬間、豊田監督を阻んでいた壁であったはずの“大人の世界”が、一気にポジティブな性質を備えたものに変貌したように思われた。

 いままでの直線的で絶望的な青春映画そのままの〈2〉幕から、その苦しみを内包することで生まれた、複雑で豊かな、未踏の〈3〉幕へ。本作で「しょったん」に訪れた奇跡は、豊田監督の経歴をもなぞりながら、作家として新たな達成を果たすことにつなげ得たように感じられる。大人の映画作家として「再生」した豊田利晃監督の今後に、もう一度期待を寄せたい。そう思わせてくれる傑作『泣き虫しょったんの奇跡』を、多くの観客にぜひ観てほしい。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『泣き虫しょったんの奇跡』
全国公開中
監督:豊田利晃
脚本:瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社刊)
音楽:照井利幸
出演:松田龍平、野田洋次郎、永山絢斗、染谷将太、妻夫木聡、松たか子、イッセー尾形、小林薫、國村隼
製作幹事:WOWOW/VAP
制作:ホリプロ/エフ・プロジェクト
(c)2018『泣き虫しょったんの奇跡』製作委員会 (c)瀬川晶司/講談社
公式サイト:http://shottan-movie.jp/

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