なぜ私たちは“木村拓哉”を求め続けてしまうのか 『検察側の罪人』最上役の生々しさを紐解く
その強さに、私たちはいつも救われてきたのだ。それは本作で、沖野(二宮和也)が最上に憧れを抱いたのと近い感覚かもしれない。彼は決して負けることはない、という彼に見る正義のストーリー。そんな平成の光を象徴するような木村が、平成最後と言われる夏に人間の影を演じて見せた。仮に、木村が最上のように、窮地に立たされたとき、大きな声を上げて威嚇したとしたら……そう考えると、沖野がどれほどのショックを受けたかを、よりリアルに想像できる。何度打たれても立ち上がってくれると信じていた木村拓哉が、社会の不条理に傷つき、感情に流されて人の道を踏み外すという、負け姿を晒した意味。それは、ある種の絶望だ。
もう、この世の中にヒーローなんていないのだ。度重なる災害に、怒りや悲しみをぶつける相手もいない。正義と正義がぶつかり合う争いは決してなくならず、白黒付けられない問題も山積みだ。人間は大義名分を振りかざして他者の尊厳を奪い合い、過去の大戦の記憶も薄れ始めている……という虚しさが、木村拓哉が演じる最上の影に共鳴してしまう。
そんな最上と対峙する沖野は、“真実こそ正義”と信じてやまない無垢な若者だ。真実は悲しい、正しいは苦しい。その絶望をまだ知らない真っ直ぐさはときに残酷だが、純粋な希望でもある。きっと「正義を貫くには犠牲が必要だ」というロジックは、思考停止した大人の甘い罠なのだろう。矛盾点をマウンティングして隠すようになったら、いよいよ罪への扉が開かれる。思い込んだ正義が強ければ強いほど、ストンと堕ちる。だから、悶え苦しみながらも考え続けるべきなのだ。痛みを伴わない方法を探し続けることを、あきらめてはいけないのだ。それが、次の時代を生きるということ。ああ、生きるって、なんて死ぬほどしんどいのだろう。
その沖野が感じたしんどさを、これほどナチュラルに演じられる俳優は、二宮和也しかいなかったように思う。木村と同様、演技派アイドルとして活躍する二宮。ジャニーズ事務所の先輩と後輩でありながら、本作で初共演というふたりは「意外と会わないもんだな」と言葉を交わした最上と沖野の距離感と重なる。8月22日放送の『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)にゲスト出演した木村は、現場の二宮を「風呂上がりみたいなカッコで来る」と明かした。入念に準備をして作品に挑む木村に対して、いつもフラットな状態で取り組む二宮。異なるスタンスを持つふたりは役柄同様、お互いに新たな刺激を受けたはずだ。結果、アドリブや演者のアイデアが多く取り入れられたという本作では、二宮の大胆さが、木村の繊細さを際立たせたように思う。
何が正解か、ではなく、何ができるか。ひとつのストーリーに固執せず、違いを受け入れる化学反応こそ、この絶望の時代を照らす新たな光かもしれない。完全無欠のヒーロー像から、生々しい人間像へ。絶望を演じ、影を持って光を示す、俳優・木村拓哉への期待。そう、私たちはこれからも木村拓哉を求めて続けてしまうのだ。
(文=佐藤結衣)
■公開情報
『検察側の罪人』
全国東宝系にて公開中
監督・脚本:原田眞人
原作:『検察側の罪人』雫井脩介(文春文庫刊)
出演:木村拓哉、二宮和也、吉高由里子、平岳大、大倉孝二、八嶋智人、音尾琢真、大場泰正、谷田歩、酒向芳、矢島健一、キムラ緑子、芦名星、山崎紘菜、松重豊、山崎努
製作・配給:東宝
(c)2018 TOHO/JStorm
公式サイト:http://kensatsugawa-movie.jp