松本穂香と二階堂ふみ、対極の存在が物語の軸に? ドラマ版『この世界の片隅に』の狙いを読む

 ドラマ『この世界の片隅に』(TBS系)が描こうとしているのは、「日常」のリアリティなのかもしれない。原作で織り交ぜられていた夢を、ドラマは現実の視点から描く。

 2016年に多くの話題を呼び、12月には描かれなかった箇所を追加したもう1本の映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開される、片渕須直による傑作アニメーション映画『この世界の片隅に』がありながら、こうの史代原作コミック『この世界の片隅に』をテレビドラマ化することは、並でない覚悟とプレッシャーを必要としたことだろう。その覚悟の表れといったらなんだが、脚本・岡田惠和、音楽・久石譲、演出が『逃げるは恥だが役に立つ』『カルテット』(ともにTBS系)の土井裕泰、プロデュースが『カルテット』の佐野亜裕美という布陣は、やはりテレビドラマ業界の本気を感じる。

 では、テレビドラマ版がアニメ版でこれ以上ないほど完璧に描ききったはずの本作を新しくどう描くのか。

 片渕監督による徹底した資料探求、現地調査によって徹底的に描きつくされたアニメ版の町並みや軍艦の精巧さなど当時の情景のリアリティは到底ドラマ版が及ぶものではない。それに対して、ドラマ版の強みは、「TBS版・夜の朝ドラ」を目指すとプロデューサーの佐野本人が言及しているように、さまざまな時代における「日常」を丹念に描いてきたNHKの朝ドラを思わせるキャスト陣が体現する、日常のリアリティだ。それは多くの視聴者がより戦時中を生きる登場人物たちを身近に感じさせる、つまりは“共感”のための仕掛けが多く仕組まれているとも言える。

 ヒロイン・すず(松本穂香)のツッコミ役とも言える尾野真千子、伊藤沙莉の巧みな演技とコミカルさは、2人で顔を見合わせているシーンを見るだけでも楽しく、コンビ感がある。松本と伊藤、土村芳が演じる隣組の3人の会話は、朝ドラ『ひよっこ』のヒロインみね子の、松本と伊藤を含む同世代の友人たちとの和気あいあいとした会話を思い出さずにはいられない、まさに“女子会”さながらの平穏さである。違うのはそこに“戦争”があるだけだ。周作(松坂桃李)に体調を聞かれ「わりい、どんどん悪くなっていく」とだけ答えることで、本人の体調だけでなく、戦争の影が日増しに迫っている当時の状況をも思わせる、寡黙で不動の老人を塩見三省が演じることで、物語に深みが加えられている。

 なにより、印象的だったのは、第1話における新井美羽演じる幼少期のすずの、人攫いと、座敷童と西瓜のエピソードを描いた2つの場面である。原作でもアニメ版でも、この2つのエピソードは、ぼーっとしがちの幼いすずの「昼間の夢」のように、まるでおとぎ話のように描かれている。両方とも幼い彼女の視点から見た情景であるため、人攫いは人間ではなく本物の化け物で、座敷童も、少なくともすずの中では座敷童なのである。

 だがドラマ版では、座敷童が実は人間の女の子であることがその場ではっきりと明示され、すずが贈り、祖母(宮本信子)が着せてあげた着物は、貧しさからどこかに売られていく少女へのせめてもの餞別となってしまう。それは、そのとき着物をもらわなかったすずが大人になって祖母から贈られた花嫁衣裳の着物と重なり、皮肉にもハレの意味をも感じさせてしまうため、すずと座敷童の少女の間に切っても切れない縁が生まれるのである。

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