“青春×音楽”映画の傑作! 『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』が描くコミュニケーションの拡張

『志乃ちゃん』が描くコミュニケーションの拡張

 うつむきがちな高校1年生の少女・大島志乃(南沙良)は、ほっそりとした身体をめいっぱいに震わせて、目にいっぱいの涙をためている。入学式の日、教室での自己紹介の場でのことである。彼女は言葉を話そうとすると、どうにもつっかえてしまい、満足な会話はおろか自分の名前さえ上手く言えないのだ。

 『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、長編商業映画デビューとなる湯浅弘章監督と脚本家の足立紳がタッグを組み、原作である押見修造の同名コミックに忠実に、あまりに眩しい“青春×音楽”映画の新たな傑作を作り上げた。

 自己紹介や、何か意見を求められる場で、自分の順番が回ってくるのにビクビクした経験は少なからず誰にでもあるだろう。新しい環境、新しい友との出会い、そして新しい自分との出会いに胸の高鳴りをほのかに感じながらも、それ以上にやはり、「新しい」とは時に恐怖でもある。それも志乃は、自分の名前さえ上手く言えないのだから。

 志乃が悩んでいるのは、いわゆる「吃音」であるが、これはあくまで象徴に過ぎず、思春期特有の悩みはいろいろとある。スクリーンに映し出されるのは、ほんの若い15、16歳の少年少女たちだ。大人になれば、いつか今の自分から変わることができるのだと夢想することがあった。しかしそれがなかなか難しいのだという確信は、少年少女期をとうに通り過ぎた者の特権だろうか。いや、15歳でも、25歳でも、たとえ35歳であっても、そうは変わらないのではないか。


 志乃は「なんで私だけ」と口にするが、おそらくこの教室にいる誰もが、そしておそらく今あなたの隣にいる誰かも、五十歩百歩の似通った不安を抱えているはずである。という希望的観測が、筆者の場合の日常との折り合いの付け方である。だが、実際そうなのであろうことは、音楽が好きでたまらないのに音痴な岡崎加代(蒔田彩珠)や、自分の居場所を常に見出せないでいる菊地強(萩原利久)たちとの触れ合いの中で、のちのち分かっていく。

 しかし繰り返すように彼女らはまだ15歳なのである。自分の悩みにばかり敏感で、他人の悩みには鈍感だ。志乃の場合は、そんな悪意のない好奇の目と、若さを持て余した熱狂の中にさらされているのである。

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