玉城ティナ、小関裕太ら期待の若手俳優が勢揃い! 『わたしに××しなさい!』のチャレンジ精神

 「テレビドラマの映画化」という2000年代に最盛を迎えた日本映画のスタイルが、やがて「人気漫画の実写映画化」という新たなスタイルに移り変わっていく中で、その両方を確立させているのがMBS制作の「ドラマイズム」だ。とはいえ、かつてのようにテレビドラマで流行したから映画化するという流れではなく、あらかじめ映画化を前提としたドラマ作りという点で大きな違いがある。

 『ディアスポリス -異邦警察-』にはじまり、『彼岸島 Love is over』や『笑う招き猫』。そして極め付きは『咲-Saki-』の実写化プロジェクトと、ジャンルもターゲット層も様々な作品を次々に送り出している。共通していることは、ドラマの映画化にありがちだった「ドラマを観ていないからわからない」ということを見事に取っ払ったことだろう。映画で描く物語の前日談、各キャラクターのディテールをドラマで見せておいて、大きなストーリーは映画が始まるとリセットされる。いわばどちらを先に観ても理解に不自由する作りになっていないのだ。これは初めから映画化を見据えた構成の最大の強みといえよう。

 この枠で今年の3月から1ヶ月間だけ放送されたのが、老舗少女漫画雑誌『なかよし』で2009年から連載がスタートした遠山えま原作の『わたしに××しなさい!』だ。ドラマで描かれたのはケータイ小説家の主人公・氷室雪菜が担当編集者からラブストーリーを書くことを勧められるのだが、恋愛経験のない彼女は行き詰まり、恋愛シミュレーションゲームで知識を蓄えていくというものだった。

 映画の前日談にあたるストーリーではあるが、主人公が恋愛小説を書くことに悩むという点と、映画の登場人物を先取りしておくという点を除けば、面白いほどに映画と異なる展開が繰り広げられる。しかしながら、映画を観てから改めてドラマ版を観てみると各キャラクターへの愛着が想像以上に湧いていることに気付くという、なんとも不思議な感覚に陥ってしまう。

 何はともあれ、6月23日から公開された映画版は、まっさらな状態で観ても問題ないことを前もって断言しておこう。玉城ティナ演じる主人公・雪菜が教室で従兄弟の晶(佐藤寛太)に恋愛小説が書けないという悩みを打ち明けるところから始まり、“疑似恋愛”をすることを提案される。この時点で、ドラマ版という前振りが完全にリセットされ、新たなストーリーの始まりが告げられる。

 そんな雪菜が偶然、学校一のモテ男・時雨(小関裕太)の裏の顔を知る。それをエサにして雪菜は、時雨を“疑似恋愛”の相手に選び、様々なミッションを課していく。しかし、恋愛小説のためだったはずが、次第に本気で時雨に惹かれはじめていく雪菜。やがて晶や、時雨の弟でライバル小説家の氷雨、時雨の幼馴染のマミを巻き込んだ五角関係へと発展していくことに。

 ウェブ小説という要素こそ極めて現代的なものではあるが、それ以外は驚くほどに王道の少女漫画路線を貫いたプロットとキャラクター設定を持っていることは見逃せない。メガネをかければ強気になれるが外せば急にウブさが表れてしまうヒロインの設定しかり、大病院の息子で二面性を持つ時雨が抱えている過去といい、まっすぐ想いを向けてくる異性の幼馴染の存在に、どことなくミステリアスな“第三の男”の存在。

 物語がシンプルであり、ヴィジュアル的に派手な部分もないだけに、作品の唯一無二性を作り出すための働きをみせるのはキャスティングだと考えて間違いないだろう。まず何と言っても主人公・雪菜を演じる玉城ティナ。本作で映画初主演となる彼女が、相変わらずのフォトジェニックで端正な魅力と同時にコミカルな表情を連発させるのだから、月並みな言葉で言えば“新たな魅力”を発見できる演技ではないだろうか。

 これまで玉城がスクリーンの中で演じてきたのは、デビュー作となった『天の茶助』でのいきなり現れて土佐弁で松山ケンイチをまくし立てる妹役は例外にしても、基本的には優等生キャラで影を帯びた女子高生といった役回りが中心であった。『貞子vs伽倻子』や『サクラダリセット』、『暗黒女子』など彼女が放つオーラのミステリアスな部分を抽出していくことこそが、彼女の個性かのように。しかし、今回の雪菜という役柄に関しては、優等生っぽくミステリアスっぽいにもかかわらず、やたらぶっきらぼうなしゃべり方で自らそれを崩しにかかるわけだ。

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