『地球防衛軍5』はなぜ過度な演出がない? “足さない美学”に見る、作り手の絶対の自信

『地球防衛軍』の「足さない美学」

 こんにちは。普段はリアルサウンド映画部で記事を書いているライターの加藤よしきです。昼間は会社員をやっている32歳男性です。今回は縁がありまして、こちらテック編集部でも記事を書くことになりました。手先が不器用、しかも考えるのが苦手というダブル・コンボを抱えている上、子供の頃に「近所のゲーセンが不良の皆さまのサロン兼ファイトクラブになっていて近づけなかった」「サンタさんにプレステと『鉄拳』が欲しいとお願いしたら、セガサターンと『三国志IV』が届いた」と言った運命の悪戯もあり、ゲーム史観も同世代の人と若干ズレています(『三国志』は好きになりました)。そんなわけで遊ぶジャンルは著しく偏っていますが、とは言えゲームは好きですし、自分なりに紹介したい/語りたいタイトルもたくさんあります。そんなわけで、ここでは箸休め的なコラムを書いていきたいと思います。至らない点も多々あるでしょうが、何卒よろしくお願いします。

 そんなわけで、連載の第1回目は今まさにプレイしている『地球防衛軍5』(17年/PS4)と、『地球防衛軍』シリーズについて考えていきたいと思います。

 『地球防衛軍』は極めてシンプルなゲームです。プレイヤーは地球を守る兵士となって、地球侵略を目論む宇宙人と戦う。これだけです。操作も簡単で、「武器を使う」「武器を切り替える」「逃げる」の3アクションで何とかなります。基本的には襲って来る敵を全滅させればステージ・クリア、複雑な暗号や謎解きをする必要もありません。どうしても詰まった場合でも、難易度選択を調整すればサクサク進められます。……と、シンプルさばかり書き連ねましたので、当然「いや、そんな単純なゲームで面白いのかよ」と思う方もいるでしょう。これがどっこい、面白いのです。

 このゲームのキモは戦闘です。操作は前述の通り簡単ですが、襲い掛かってくる敵は一切容赦してくれません。大量の巨大アリや巨大クモ、さらにはUFOや怪獣が本気でプレイヤーを殺しに来ます。物量・戦力は明らかに敵の方が上。数え切れないほどの敵がマップに表示された瞬間は、公式が謳うところの「絶望」そのもの。戦いが始まれば考える暇すらありません。しかし、このように絶望が強い分、それを自分の力で引っ繰り返した時の達成感は格別です。「オレたちは強い!」とスラムダンク的な自信も生まれ、何とも気持ちいい。映画で言うところの『インデペンデンス・デイ』(96年)的な巨大UFOを歩兵で倒した時なんか最高です。最新作である『5』は、こういったシリーズの基本的な魅力を引き継ぎながら、チュートリアル(ゲームの説明)の充実や、画面遷移の調整、新要素の追加など、まさに正統進化と言う表現が相応しい仕上がりで、個人的にはシリーズ入門には最適だとも思います。

 そして『5』をプレイしていて何より感心したのが、足すところは足しつつ、足さないところは足さない姿勢です。元々『地球防衛軍』は、SIMPLE 2000という安さを最大の売りにしたシリーズの中の1本でした(その名の通り2000円)。売値が安いと言うことは、もちろん作る予算も多くなかったはず。先に書いたシンプルなゲーム性も「狙ってそうした」と言うよりは、様々な制約から「そうせざるをえなかった」とも思われます。しかし、ゲームの面白さから口コミで話題となり、『3』からSIMPLEシリーズの枠を飛び出し、『4』『5』と今日に至ります。

 その間に映像は豪華になり、主人公が使う武器や、敵のバリエーションはドンドン増えてきましたが、全く足されていないのがキャラクター要素です。これだけ売れているタイトルですから、例えば主人公や周辺のNPCにキャラクター性を付与したり、凝りまくったムービーシーンや、メディアミックスを前提にした設計をしてきてもおかしくありません。しかし、本作では“軍曹”、“司令”、“オペレーションの女性(通称、オペ子)”が音声のみで登場するに留まり、彼らとは会話どころか、その顔を見ることすらできません。ストーリーも『1』からずっと「宇宙人が攻めてきたから、頑張って追い払う」の繰り返しです(宇宙人の設定はシリーズを重ねるごとに凝ってきていますが)。

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