『3月のライオン』はいじめ問題をどう描いた? 羽海野チカの世界を再現したアニメ演出
アニメ『3月のライオン』を見ていると、幸せな気分になる。決して明るい内容ばかりではない。幼い頃に家族を亡くし、学校にも家庭にも居場所がない生活を送ってきた主人公・零の過酷な身の上や、義姉・香子の妻帯者である後藤への恋慕、零が関わる川本家の次女・ひなたのいじめ問題など、登場人物それぞれがいろいろな事情を抱えている。むしろ、比較的重い内容が多い作品とも言えるだろう。
だが、まるで、第2シリーズ第1話において、零がノートの切れ端に包んで持ち帰ったラムネを、川本家3姉妹が宝物のように口に運んだ時の、「シュワシュワッ」とほどけて消えてしまう、あの儚い幸せの味が、口の中でしばらく持続しているかのような心地がする。
それは、アニメ『3月のライオン』が、彼らの孤独や哀しみ、怒りを示す深い海の底のような暗い青色と、3姉妹と食いしん坊な猫、ホカホカと美味しい食べ物が示すユートピアと言えるような暖かい明るさの黄色のせめぎあいの物語であり、その世界が、彼らの孤独も幸せも包む、月や青空、煌く夜のネオンの淡い色、それら全てが折り重なってできた優しい世界だからだろう。
最新作13巻が9月に発売された羽海野チカが描くコミック『3月のライオン』は、新房昭之監督、シャフト制作による昨年放送のアニメ第1シリーズ、そして今回10月から始まった第2シリーズだけでなく、大友啓史監督によって神木隆之介主演の映画『3月のライオン 前・後編』として実写化されている。
映画版は、特に後編において、まだ物語が終結していない原作の先を描いていたこともあり独自性が強い。より高校生で天才プロ棋士・零の孤独に焦点を当てることでこの物語を描いていた。一方、アニメ版は、零の孤独は一つの側面として、彼の目から見た個性溢れる棋士たちの悲喜こもごも、彼が大切にする人々の物語、さらには初心者向けの将棋講座、時に脱線する遊び心といったものが混在する羽海野チカの世界を見事に示していると言える。
第2シリーズでは、彼が目の当たりにする棋士たちの物語と彼自身の戦いと共に、彼の心の拠りどころである川本家の次女・ひなたが中学校でいじめに巻き込まれ、立ち向かおうとする姿が描かれている。
現在放送の第2シリーズの1話~6話を通して見ると、この物語が「水」の物語であることがわかる。最初は蛇口から零れる水滴程度だった水が、普段は泣かないあかりやひなたの隠したい感情、慟哭と涙を示す、バケツやタライを溢れさせるほどの大量の水に変わり、零やひなたが佇むいつもの川沿いへと繋がり、さらにはいじめを経験する過去の零やひなたが苦しみあがく深い、深い海の底のイメージへと繋がる。
そしてその水は、これまで零の孤独を、ホカホカのご飯と幸せな笑顔で温めてきた川本家の三姉妹の涙を示している。暖かい家族の団欒で零の孤独を包み込んだ彼女たちは、亡くなった母親の記憶と父親の不在という問題を内に秘めている。長女であるあかりはいつも微笑んで妹たちや零を見守り、次女であるひなたは姉や妹のことを気遣い、涙を流すことを堪える。
あかりは特に、母親代わりにひなたとモモを育ててきたために、彼女たちの前ではいつも強くなくてはならない。だが、5話で零と特売品の下ごしらえをしている最中、あかりは、友人をかばうことが原因でいじめられたひなたに「正義なんてどうでもいいから逃げてほしかった」と思ってしまったと、家族を思うがゆえの本音を吐露する。蛇口からは勢いよく水が流れ、その水はほうれん草の入ったタライを溢れさせ、波紋を作る。それは、吹きだした彼女の感情そのものであり、涙でもあった。蛇口から流れる水と零が剥く玉ねぎというカモフラージュで誤魔化しながら、零の言葉によって救われた彼女は、本当の涙を一雫落とし、家族のために「カレーを作ろう」と水道の蛇口を閉めるのである。
誰が作ったのかもわからない、見えない「階級」でがんじがらめの学校の校舎はただ白く、その様子は無機質で怪物のようだ。だが、味方のいないひなたのもとに零に頼まれて昼休みにキャッチボールをしにくる幼なじみ・高橋とひなたのつかの間の休息のような時間、グラウンドは水溜りでいっぱいで、その水溜りにはたくさんの青空が映りこんでいた。ひなたの悪口が書かれた黒板をあえて消さず、見てみぬふりを決め込む担任教師やクラスメイトたちと戦う姿勢を見せた彼女に寄りそうように、カーテン越しに入り込む青空と雲は、バケツの中の水にも映りこみ、その灰色を鮮やかな空色に染める。