偉大な映画音楽はいかにして生まれたのか? 圧巻のドキュメンタリー『すばらしき映画音楽たち』評
“映画批評の今”をテーマとした菊地成孔とモルモット吉田との対談(菊地成孔×モルモット吉田、“映画批評の今”を語る 「芸で楽しませてくれる映画評は少ない」)のなかで、菊地成孔は次のように発言していた。「俳優と映画監督、プロデューサーと映画監督の関係はみんな敏感に書くけど、音楽家と映画監督については、ないですよね」、「まだ音楽が持っている力は映画に対して強いし、映画批評というものに、ネクストとは言わなくともアザーレベルがあるとしたら、音楽についてちゃんと書くことです。今は「音楽がすごく良くてさ」とかそのぐらいなんですよ」。
確かに、その通りかもしれない。各メディアはもちろん、パンフレットなどの公式資料を見ても、俳優と監督に関する記事やインタビューはあるものの、音楽家に関する記事はあまり見られない。とはいえ、『007』、『ロッキー』、『スター・ウォーズ』など、もはや映画本編とセットとなって記憶されている(あるいは映画の内容以上に広く親しまれている)超有名なメインテーマを持った映画はもちろんのこと、劇中で流れる音楽の有無、あるいはそのトーンによって、映画そのものの印象が大きく変わってしまうことは想像に難くない。それほどまでに、映画における音楽の役割は大きい。そこに異論のある者は、ほとんどいないだろう。
しかし、そもそも我々は、映画音楽について、一体どれだけのことを知っているのだろうか? そんな疑問に応えるべく、ある画期的なドキュメンタリー映画が生み出された。「映画音楽の作曲家たちは、どうやって映画音楽を作っているのか?」という素朴な疑問に端を発し、結果的にはサイレント期から始まる映画と音楽をめぐる歴史や、映画音楽の在り方を変えたエポックメイキングな出来事、さらには映画音楽のトレンドの変遷に至るまで、映画音楽にまつわるさまざまな事柄を、膨大なインタビューとアーカイブ映像によって描き出したドキュメンタリー映画、『すばらしき映画音楽たち』のことである。
その内容は、こちらの予想を遥かに上回るほど充実している。もはやほとんど、“情報”と“気づき”の連続と言ってもいいかもしれない。ある映画音楽で実際に使用したという“野ざらしのピアノ(!)”を紹介するマルコ・ベルトラミの映像から始まり、ビル・コンティによる『ロッキー』のテーマ曲と映像によって本格的に幕を開ける本作。そのいちばんの特色は、ハンス・ジマーやダニー・エルフマン、ジャンキーXL(トム・ホーケンバーグ)など、現在も第一線で活躍し続けている映画音楽家たちのインタビューと、映画音楽家の作業風景を追った貴重なドキュメント映像にあるだろう。
とりわけ、実際の映像を見ながら、映画監督が作曲家に、シーンの演出意図や欲しい音楽のイメージについて説明する「スポッティング」と呼ばれるミーティングの模様や、作曲家がスタジオでひとり、モニターで繰り返し映像を確認しつつ、自ら楽器を鳴らしながら試行錯誤する様子。さらには、そうして作られた楽曲が、実際どんな場所で、どのような人たちによって録音されているのかを記録した映像など、これまであまり目にする機会のなかった映像の数々は、映画音楽にある種の「人間味」をもたらせる、そんな効果を持っているように思われる。
無論、豊富な対面インタビューの数々も、それぞれ興味深いものとなっている。そこで面白かったのは、映画史研究者や心理学者(!)などと並んで、現役の映画音楽家たちが、自作についてのみならず、過去の映画音楽の名作を引き合いに出しながら、映像と音楽の関わりやその効果、さらにはその音楽が自身にもたらせた衝撃について語っている点だった。過去の偉大な映画音楽について語る映画音楽家たちの言葉は、いずれも流石の説得力に満ちていると同時に、自作について語るとき以上に目を輝かせながら意気揚々とその“すばらしさ”について語るその様子は、彼らが作曲家である前に、映画音楽の熱烈なファンであることを、観る者の心に素直に感じさせるのだった。