社会への問題意識と潜在的な恐怖ーー『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』が描く文学的テーマ

 本作では、夏休みの図書館の中で独りきりで読書をしている子どもに、「あなたは友達がいないの? 夏休みなんだから、子どもは外に出て遊ぶものでしょう」と大人が小言をぶつけてくる場面がある。この大人にとって、健全な子どもの姿とはそういうものであり、その枠に収まらない子どもというのは不幸でみじめな存在として映るのだろう。この町では、そういった典型的な価値観に適っている者が「勝ち組」で、そこからずれている者は「負け犬」だとされるのである。大人になってベストセラー作家となったスティーヴン・キング自身も、やはり自分が子ども時代に「負け犬側の人間」だったという自覚があるのだろう。

 銃社会の問題を描いたマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』 は、日常的にいじめられていた高校の生徒たち2人が「トレンチコート・マフィア」を名乗り、24人もの学生、教師を死傷させたという、1999年に起こった「コロンバイン高校銃乱射事件」を扱っている。コロンバイン高校の卒業生でもある、アニメ『サウスパーク』の製作者マット・ストーンは、映画の中でこう語っている。「彼らは、自分たちを一生負け犬のままだと思っていたのかもしれないが、卒業すれば自由になれると、誰かが彼らに教えてやれば良かったんだ」…アニメの世界で成功を収めたマット・ストーン自身も、やはり学生時代に負け犬として扱われた経験があるのだろう。

 前述したように、「殺人ピエロ」ジョン・ウェイン・ゲイシーもまた、「男らしさ」という既存の価値観によって抑圧されねじ曲げられ、反社会的な道に走った人物だと解釈できるように、本作の「ルーザークラブ」もまた、そうなってもおかしくない子どもたちなのだ。だから彼らは、親や社会によって抑圧されるなかで、ピエロの不気味な姿を幻視することになる。彼らにとってペニーワイズに捕らえられるということは、ゲイシーやトレンチコート・マフィアのような存在に自分自身がなってしまうのではないかという、潜在的な恐怖となっている。そして周囲の大人たちは、自分たちが子どもたちを抑圧し、そうなってしまう原因を作り出していることに無頓着である。

 そんなペニーワイズを殺す力を持っているのは、「ルーザークラブ」の子どもたちだけなのだ。負け犬と呼ばれた本作の子どもたちは、その恨みを、ピエロを暴力で惨殺しようとすることで晴らそうとする。その徹底的な暴力描写にはぎょっとさせられるが、これは彼ら自身の内面の葛藤のイメージとして描かれている。彼らが不当に社会から受けた、抑圧や恐怖。それを自らの手で葬り去って決着をつけることで、彼らは他人に対して怒りをぶつけたり凶行に走る未来を回避しようとするのだ。それを達成できなければ、その恐怖は大人になっても彼らの行動を制限し、その反動が異常な行動に向かわせるかもしれない。

 殺人事件が起こったとき、メディアは犯人を、一般市民とはかけ離れた凶悪で異常な人物だと強調しがちだ。だが、彼らをそのような凶行に向かわせてしまう原因の一つには、普通の価値観からはみ出す人間を「異常だ」として排除し、その立場を認めようとしない社会の酷薄さがあるのではないだろうか。本作が痛烈に告発しているのは、その罪から目を背けようとする「普通の人々」の欺瞞である。

 スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』を、原作者のスティーヴン・キングは嫌っていたというが、その理由は、原作の文学的テーマを無視したところにある。キューブリックは、設定や筋立てを利用して、そこに与えられた意味を剥奪し、全く違うものを作ってしまっているのだ。それはある意味でキューブリックの映画監督としての天才性を示すものだが、本作『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』から逆に感じ取れるのは、このような原作の描いた問題を真摯に読み取り、最大限に活かそうとする意志である。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』
全国公開中
監督・脚本:アンディ・ムスキエティ
出演:ジェイデン・リーバハー、ビル・スカルスガルド、フィン・ウルフハード、ソフィア・リリスほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2017 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:itthemovie.jp

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