寺山修司は2021年に存在し得るのか? 『あゝ、荒野』が描く魂のぶつかり合い

 映画では、この2人の人物を同一人物として描いている。セツは新宿のバーで働きながら、震災で離れ離れになった娘を探し、芳子は、母親を「仮設に置いてきた」と新次に言う。「待って」と言う足の悪い母親と、待たずにスタスタと歩いていく子供の芳子という過去のイメージは複数のエピソードによって表され、芳子が捨てるに捨てきれない、母親の履かせてくれた靴のみが彼女の部屋に残っている。

 ただ、最後まで回想シーン以外で絡むことのないこの親子は、公式ホームページに書かれている登場人物名において「尾根セツ」と「曽根芳子」となっている。つまり、実際は、彼女たちは本当の親子なのかもしれないし、同じ被災者で、新宿を彷徨っている、よく似た境遇の他人同士なのかもしれないという可能性も孕んでいるのだ。

 新次に足の悪いことに対する偏見で突っかかられ、帰りしなに「あたしだって名前はあるのよ。無名だけど」「あたしは、セツっていうのよ」と抵抗する原作の孤独なバーの女性・セツは、映画では、震災で離れ離れになった娘を探しながら、トレーナーの片目こと堀口(ユースケ・サンタマリア)と出会い、同じ孤独を共有し、静かに愛を育んでいく存在として生きている。どちらにせよ孤独な女性であることに変わりはないが、彼女の人生が映画の中で息づいていることを嬉しく思う。

 この映画は、新次やバリカン、新次の因縁の相手・裕二(山田裕貴)たち戦う側の物語だけではない。観客席側にいる人間の姿も丁寧に描いている。試合中、戦う彼らの反対で、殴り、殴られる、愛する人を見つめる選手の妻や妹、恋人、母親の表情が何度も映し出されるのが印象的だ。女たちは愛する人のことを想い、宮木はじめ男たちは、自分のやるせない人生そのものを昇華させるように、自分自身を投影させるように、リングの上の男たちを見つめている。

「強くなりたい、強くなりたい」
「僕はここにいる」

 その言葉はバリカンの言葉だけではないのだろう。リングの上の人々、自殺防止フェスティバルの学生たち、新次とバリカン、芳子の母親や父親たち。それぞれの、人生全てに鬱屈を抱えた人々全ての言葉なのだ。「観客は立会いを許された覗き魔である」と寺山は書いている。しょせん覗き魔に過ぎない観客だったとして、「僕はここにいる」。それはきっと、映画館の片隅で心を震わす全ての観客の言葉なのかもしれない。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住の書店員。「映画芸術」などに寄稿

■公開情報
『あゝ、荒野』
前篇:公開中/後篇:10月21日(土)新宿ピカデリーほか
出演:菅田将暉、ヤン・イクチュン、木下あかり、モロ師岡、高橋和也、今野杏南、山田裕貴、河井青葉、前原滉、萩原利久、小林且弥、川口覚、山本浩司、鈴木卓爾、山中崇、でんでん、木村多江、ユースケ・サンタマリア
原作:「あゝ、荒野」寺山修司(角川文庫)
監督:岸善幸
撮影:夏海光造
脚本:港岳彦、岸善幸
音楽:岩代太郎
主題歌:BRAHMAN「今夜」(NOFRAMES recordings/TOY’S FACTORY/TACTICS RECORDS)
制作・配給:スターサン
制作プロダクション:ビマンユ ン
公式サイト:kouya-film.jp
(c)2017『あゝ、荒野』フィルムパートナーズ

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