『ハクソー・リッジ』は戦争を題材にしたヒーロー映画だ メル・ギブソンが再現した地獄の戦場
「痛み」によって示される究極的自己愛
本作の見どころとなるのは、やはり前田高地における地獄さながらの戦闘シーンである。銃撃や手榴弾などの爆発によって、吹き飛ぶ手足や飛び散る内臓の描写、またはネズミにかじられ無残な姿になった敵味方の遺体など、戦闘の暴力や、その結果の無残さが強調されている。それは、これまで『アポカリプト』や『パッション』などで、地獄のような世界を描き、その中で受難を与えられた主人公の痛みを追求してきたメル・ギブソン監督の持ち味だといえよう。
「ヒーロータイム」演出に代表される、メル・ギブソンの映画監督としての作家性を読み解く鍵は、「ヒロイズム」と「宗教性」という二点である。彼の今までの作品を見ると、自身の過激なまでに保守的なカトリック教徒としてのイデオロギーが、共通して存在していることが分かる。その結果、ユダヤ人の団体や、マヤ文明の研究者から、その偏見を指摘されてきた。彼は史実を題材に選びながらも、それを部分的に歪めてまで、自身の信じる宗教的信念を、いたぶられる主人公のなかに見出そうとするのだ。
ここで思い出すのは、キリスト教迫害によって、裸のまま樹に縛りつけられ、全身に矢を受けたという、聖セバスティアヌスの宗教的逸話である。肉体に矢が刺さり、その痛みに耐え抜く姿は、ヨーロッパでいくつもの宗教絵画の題材となってきた。その宗教的法悦の裏にあるのは、苦痛と血によって、より光り輝く男性の美しい肉体の誇示である。作家・三島由紀夫は、自伝的な『仮面の告白』で、聖セバスティアヌスの立像に性的な興奮を覚えたと書いている。実際に三島は、自分自身が聖セバスティアヌスになりきって、裸で矢が刺さっている姿を演じ、篠山紀信にその写真を撮影させているように、自身がその姿になってみたいという、倒錯したナルシシズムを抱えていたのだ。
メル・ギブソンが痛みによって表現しようとするのも、美しく輝く自分自身なのだと考えると、かなりの部分が理解できるのではないだろうか。そしてそこで描かれた地獄の世界は、それを際立たせる背景として機能している。『ブレイブハート』で自身が演じたヒーロー像は自己愛の発露として分かりやすいが、そのイメージは他の役者にバトンタッチされ、同じように何度も再現されている。
その意味で興味深いのは、本作でヒューゴ・ウィーヴィングが演じる、ドスの飲んだくれの父親の存在である。酒に酔ってトラブルを起こすその姿は、同じように何度も酒で問題を起こし、ハリウッドでの地位を一時失った、メル・ギブソンの失敗の象徴のように思える。ヒーローであるドスが父親の暴虐に反抗し、殺してしまいそうになる場面は、メル・ギブソン自身の内面の願望であるようにも思えるのである。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『ハクソー・リッジ』
TOHOシネマズ スカラ座ほかにて公開中
監督:メル・ギブソン
製作:ビル・メカニック
出演:アンドリュー・ガーフィールド、サム・ワーシントン、ルーク・ブレイシー、テリーサ・パーマー、ヒューゴ・ウィーヴィング、レイチェル・グリフィスほか
配給:キノフィルムズ
原題:Hacksaw Ridge/2016年/アメリカ・オーストラリア/139分/英語、日本語
(c)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016
公式サイト:http://hacksawridge.jp/