古典的SFの文脈に『第9地区』的なアフリカ要素 異色の反乱劇『リヴォルト』の魅力
かつて『第9地区』を撮ったニール・ブロムカンプ監督は、自身の初監督作の舞台を南アフリカに設定した理由の一つとして「アメリカの大部分はすでに語り尽くされたと思う」と語ったことがある。なるほど、エイリアンが到来する映画にしたって、今さらその舞台がロサンゼルスやニューヨーク、ワシントンD.C.であったならフレッシュな驚きなど得られようもない。いまエイリアン物を描くのであればアメリカの大都市は真っ先に舞台の候補から消す必要があるし、逆説的に言えばエイリアン側もまた、映画を1mmでも成功へ導きたいという意向があるならば、これらの都市を決して襲ってはならないのである。
この原則にのっとったのかどうかはわからないが、『リヴォルト』のジョー・ミアーレ監督は映画の舞台をアフリカの大地に据えた。
冒頭、幕を開けると我々はすでに凄まじい襲来劇の渦中にある。なかなか敵の姿をはっきりと捉えることはできないが、逃げ惑う人々や応戦する兵士たちはいとも簡単に彼らの放つ光線を浴び、一瞬にして煙のように消滅。思わず記号的にスティーヴン・スピルバーグの『宇宙戦争』の一場面を彷彿する人も多かろう。元々エイリアンの襲来劇ではかくも彼らの圧倒的な攻撃力を明確化するためにも、「光線を受けた時にどのような反応が起こるか」を丁寧に描く傾向にある。本作においても「ポンッ」と乾いた音を立てて人々が消えていく描写が、どんなサウンドトラックにも増して緊迫感あふれるリズムやテンポを作り出していることは言うまでもない。
話を戻そう。やがて主人公は留置所で目を覚ます。屈強な身体は傷だらけで、少し動いただけでも痛みがほとばしるほどだ。そして、沈黙。ゆっくりと記憶を溯ろうにも何が起こったのか、自分が何者なのか皆目思い出せない。そして隣の留置部屋には彼と同じく囚われた謎の女性。どうやら彼女は医師のようだ。彼らは手を取り合ってこの場を脱出し、敵の襲撃を交わしながらケニアの地方の村から国境付近へ危険な旅を開始する。こうやってようやく物語は動き始める。
エイリアン? ロボット? 一筋縄ではいかない特殊造形
私はこれまでずっと“エイリアン”と述べてきた。しかしここで正確に描写しておくならば、『リヴォルト』でようやく姿を捉えることができた敵の姿は、一概にはエイリアンとは呼べないシロモノだ。なにしろ実際に襲い来る敵は“無生物”のようだし、何らかの指令を受けて自動操縦されているようにも見える。下腹部あたりに動力源を光らせながらうごめく、鉄くずのロボットと呼べばいいのだろうか。一歩ごとにガシャンと大地をきしませる動きは、それでいて俊敏でもあり、兵士たちが手にする銃器であってもダメージを与えることは困難。人類の起源がアフリカであるとする説はよく知られるが、その大地にいまこうして異形の者たちが降り立ち、人類に取って代わろうとする構図がなんとも言えない不気味な皮肉を醸し出してやまない。
そして、主人公と女医が生き残りをかけて国境付近を目指す道中でも様々な事態が生じる。世界の現状に関しても「どうやらワシントンもニューヨークも、地球上の大都市は全て壊滅してしまったらしい」と言葉だけで語られるものの、ミアーレ監督は大都市が襲撃されるようなSFスペクタクルにはさらさら興味がないようで、あくまで「第三世界」と呼ばれるその地を基軸に据え、限定された情報の中でおぼろげながら見えてくる状況こそを追究していく。