『HiGH&LOW』と『たたら侍』は表裏一体の作品だーー共通するLDHの本物志向
『HiGH&LOW』は、最先端かつ圧倒的なスケールのアクション、そして2.5次元とも言える現実とファンタジーが融合した特殊な作風で日本映画界に殴り込みをかけ、2017年も多くのファンを魅了し続けている。そんな『HiGH&LOW』の総合プロデューサー・EXILE HIROが初の製作総指揮を務めた映画が、現在公開中の時代劇『たたら侍』である。本作はHIRO率いるLDHが総力を挙げながらも、『HiGH&LOW』と全く逆のアプローチで製作されていることが大きな特徴。『HiGH&LOW』では、メインキャラクターたちが複雑な事情を抱えながらも、明確な正義をもち、九龍グループという大きな悪との戦いに挑んでいく。一方の『たたら侍』は、凡庸な主人公・伍介(青柳翔)が侍に憧れながらも、周囲の人間に迷惑をかけながら泥臭く人生を学んでいく物語なのである。ここでは、そんな『たたら侍』の構造を紐解きながら、『HiGH&LOW』と表裏を成す同作の魅力に迫りたい。
無駄遣いではない“本物”にこだわる理由
『たたら侍』では、三人の登場人物が主軸となって物語が展開する。高度な製鉄技術“たたら吹き”の伝統を守る村下(むらげ)として玉鋼を作ることを定められた主人公・伍介、剣の才に恵まれながらも村で仲間を守る伍介の親友・新平(小林直己)、かつて戦に巻き込まれた村と伍介を武力で救った侍・尼子真之助(AKIRA)である。このうち、製鉄技術を狙う外敵を倒す“力”を欲した伍介は村を飛び出し、侍になるために戦場に出るが、血なまぐさい戦の真実や、彼を利用しようとする魑魅魍魎の如き商人、傭兵軍団といった障害にぶち当たることになる。『HiGH&LOW』同様に大枠としてはシンプルな物語だが、本作の主人公は様々な理由から刀を抜かない、つまり戦わない侍である。そのため、伍介の視点を通してアクションのカタルシスを感じるシーンはやや少ない。
では、『たたら侍』は何をもって観客を惹きつけようとしたのか? それは、錦織良成監督による“本物”に対するこだわりである。山を拓いて“たたら村”のオープンセットを丸ごと建造したり、復元された江戸時代の帆船“みちのく丸”を海に浮かべて空撮したり、実在の村下のもとで当時の“たたら吹き”を再現して撮影。そして、それらをCGを使わず、全編35mmフィルムで撮影している。ハリウッドでもQ・タランティーノやクリストファー・ノーランといった監督レベルにしか許されないような環境で、本作は制作されているのである。こういった撮影法も、きちんとした意図がなければ単なる無駄遣いだが……『たたら侍』のこだわりには、きちんとした理由がある。例えば、“たたら吹き”のシーンには、村下が炎に立ち向かい、究極の金属・玉鋼を生み出すという、いわば「刀を持たない侍の戦い」の意味が込められている。仮に日本の原風景をとどめる島根の美しさの中で、安っぽいセットや着物が映れば、画に違和感が生じるだろう。炎や自然の発色を限りなくそのまま収めるには、35mmフィルムでの撮影をする必要があったのだ。また、Panavisionカメラを用いて撮影し、仕上げまでを4K処理で行うアナログ+デジタルな手法で、出来る限りそのまま“本物”を映像に収めている点にも触れておきたい。選んだ題材をきちんと画に収めるために、最適な撮影法を選んでいるのである。
錦織監督はこれまでの自身の過去作でも、つねに“本物”へのこだわりを貫いてきた。例えば、『白い船』(02年)のクライマックスシーンの撮影では、フェリーと100隻近い小型の漁船を並走させる、壮大なスケールの大きな画づくりに挑んでいる。ここではスタッフにはCGを使った処理をすすめられたが、最終的には全て実物で撮影することに成功。同作は、そのリアリズムと圧倒的な画の力もあってか、ミニシアター作品としては破格の1億円近い興行収入を記録している。こういったこだわりが、『たたら侍』の画面にも説得力をもたらしているのである。美しい自然の中、戦場で“力”を持った者たちが生々しい姿で斬られていくようすは、伍介が信じた“力”がいかに空虚なものかをストレートに伝えてくるではないか。
エグゼクティヴ・プロデューサーのEXILE HIROが「画が伝える力」を信じていることは、『HiGH&LOW』を観た方はお分かりだろう。そのHIROが同じく画にこだわる錦織監督を『渾身KON-SHIN』で見初めたのは運命だったのではないか。それも、錦織監督が本物にこだわり続けてきたからこその出会いに他ならないが。