杉野希妃監督が生み出した、新たな“雪女”像「白黒つけられないことを映画で表現したい」

 まず、“雪女”と聞いて、どんなことを想像するだろうか? 日本においては小泉八雲による「怪談」に収められた一篇の短編としてあまりにも有名。絵本や紙芝居、アニメといった形で幼いころに一度は触れている人がほとんどで、たぶん、多くがおおよそどんな物語であるかがおぼろげながら頭に浮かぶのではなかろうか。その物語は知らなくとも、雪女がどんな存在であるかはおそらくほぼ頭にインプットされているに違いない。それゆえ、いわば古典、もしくは誰もが知っている昔話となっており、いまとりたてて新たに原作を見直してみる気も起きないというか。それほど、なじみ深い、ある意味、勝手に知った気になってしまっている物語ではないだろうか?

 このいわば日本ではスタンダード化している『雪女』を、杉野希妃監督の『雪女』は良い意味で裏切る。女優、監督及びプロデューサーも務め、活躍の場を日本からアジア、そして世界へと広げている彼女の、そのしなやかな感性は、新たな『雪女』を生み出している。それは、我々が思い描く“雪女”及び“雪女の物語”が、使い古されたものではない、まだまだ新たな解釈が可能で、古典と呼ばれる長きに渡り愛されるものに内含された可能性を広げることができることを示すといっていい。そう感じられるぐらいに、古典を現代につなぎ、古典の可能性を広げるとともに、新たな“雪女像”を作り上げている。

 ただ、「新たな雪女像」と言っても、たとえば雪女を特殊メイクで今までとまったく違った印象を与える形で登場させたり、CGを多用したヴィジュアルで新たな雪女の物語の世界を作ったりといった、いわば奇をてらったことをしているわけではない。あくまでその物語性や雪女の存在はオーソドックスだ。その点に関しては従来を踏襲し、原型は崩していない。原点をしっかりと押さえながら、雪女の立ち位置や見方、物語の解釈や捉え方の視点を少し変えることで、不思議なぐらい今の時代へと届く作品へと変貌させている。

 

 こうした形に着地した過程を杉野監督自身はこう振り返る。「実は『雪女』にクランクインする直前に、交通事故に遭い、入院生活を余儀なくされました。それに伴い、いろいろと決まっていたスケジュールもいったんすべて延期に……。入院している間はほかになにもできないので、幸か不幸か『雪女』を一から見直すことができる時間ができてしまったんです。結果的としてこの年、2015年は『雪女』にほぼ専念することになりました。実は最初に思い描いていたのは今回とはまったく似ても似つかないというか。SF要素の強い、魔女裁判的な内容で、原作からかなり飛躍したドラマチックな脚本を考えていました。でも、改めて熟考する中で、むしろそういった見た目や内容の派手さよりも物事の本質を追求していくことに私自身の心が傾いていきました。小泉八雲の原作は目を通せば通すほど、どうとでも解釈可能な自由度がある。その中に自分が見出した発見や新たな解釈を表現するのに、下手な飾りは必要ない。それをストレートに表現すればいいなと。すると結果として、不思議なくらい最初の構想とは正反対の静謐でシンプルな映画になりました」

 そのシンプルさは、杉野監督が敬愛してやまない溝口健二監督や増村保造監督をはじめとする日本のクラシック映画の名作、とりわけ女性映画にも通じる。ただし、そういったオマージュに留まっているわけではない。今を現在進行形で生きる杉野監督が感じる今の時代や社会に対する違和感が随所に盛り込まれている。たとえば、これまでの雪女といえば冷たい息を吹きかけて男を凍死させたり、命果てるまで男の精をしぼりとってしまう、あくまで妖怪であって、過ちを犯す人間を罰し、たしなめるような扱いで存在することがほとんど。ある種、人間を凌駕する、人間が決して敵わない、恐るるべき存在としてキャラクター付けされてきたところがある。でも、杉野版『雪女』では、どこからともなくやってきて、その地にいつの間にか溶け込み、存在を増してしまったがばかりに、地元民からよそ者扱いされる、いわばマジョリティに対してのマイノリティのような意味合いで存在する。雪女=ユキは猟師の巳之吉と結ばれ、子をもうけ、家庭を築いていくが、どこからきたかわからない彼女の存在を周囲は本心のところで受け入れていない。なにか間違えば排除されてしまう危険が漂う。それはどこかあらぬ噂が勝手に一人歩きして、いわれなき誹謗中傷を著名人どころか一般人も受けかねない現代社会の縮図を見せられているかのよう。憎悪や悪意がどこから生まれ、どこに向かうのかを見せられたような気分になる。

 また、物語の全体像を見渡したとき、ひとつ際立つのが、ユキと巳之吉が互いを求めあうラブ・シーンだ。山奥の露天の温泉でふたりは裸で愛を交わす。そこに他者が入り込む余地などない。ただただ互いの魂に触れ合うようなこの場面は、人間の純粋な他者への愛、そして共生といったテーマが浮かび上がる。それはトランプ政権をはじめとした排他的な社会の動きやヘイトスピーチ問題などに対して異を唱える痛烈なメッセージに受け止められなくもない。杉野監督自身も「今の社会情勢や人間関係の在り方に対する自分の違和感が盛り込まれていることは確かです」と明かす。

 一方で、雪女=ユキという存在は、今を生きる現代女性の置かれた境遇が反映されているといっていい。妖怪=部外者であるユキは、巳之吉との生活で人間=他者の気持ちに寄り添い、理解を深めていく。その間に結婚、出産、育児、義理の母との関係といった問題と否応なく向き合い、その心の変化も描かれている。そもそも杉野希妃という映画作家は、過去の監督作2作でも女性の心の中にある得体の知れない感情をひるむことなく赤裸々に描いている。

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