異色の魔術ヒーロー『ドクター・ストレンジ』、サイケデリックな映像は何を暗示する?
ストレンジ博士が修行するのは、「ヒッピーの世界三大聖地」のひとつともなっている、ネパールのカトマンズである。ティルダ・スウィントンが演じる老師、エンシェント・ワンは、ストレンジの精神を肉体から解放し、異次元へと運んでいく。かつての同僚に「カルト教団にでも入ったの?」と言われながらも、ストレンジは今までの常識や既成概念を捨て去り、思考を柔軟にすればするほど、新しい力に目覚めていく。肉体の鍛錬でなく、「変化」と「気づき」こそが彼の力の源なのである。これは、ある意味で60年代のヒッピーが夢想した理想的な成長だといえるかもしれない。
対して、魔術の組織を裏切り、凶行に走る集団も現れる。マッツ・ミケルセンが演じるカエシリウスは、使用を禁じられている「闇の力」に手を出し、その強大な力によって操られるように、既存の世界を暴力的に破壊しようと画策する。ここで想起するのは、ヒッピー文化における闇の側面である。新しい文化が活性化し、平和運動に参加する若者がいた反面、ドラッグによるトラブルや、幻覚による妄想を肥大化させ、殺人を犯すまでに至ったカルト的な団体が出現したのも事実である。すべての物事に光と闇があるように、ヒッピー文化にも功罪があった。ドクター・ストレンジが対峙するのは、そのような複雑な事情が絡み合う、魔術世界のリアルな状況である。
問題のある文化をすべて無価値なものと決めつけ、無視してしまうのはたやすい。しかし、これまでの価値観にしがみついているだけでは、文化の発展も、社会の成長も停滞してしまうだろう。ドクター・ストレンジは外科医でもある。彼は複雑に絡む神経組織から病巣を見つけ出し取り去るように、世界から闇を取り除くという新しい使命を持っていることに、戦いの中で気づいていくのである。かつては西洋的な概念こそが唯一の正解だと思っていた人間が、様々な新しい価値観に目覚め、さらにそこに存在する問題を解決するべく奔走する姿は感動的だ。しかし、ひとつの問題が解決すると、また別の角度から新しい問題が発生するのも現実である。ドクター・ストレンジは、この終わらない戦いに身を投じていく宿命にもある。
一見、単純にも見える、善と悪の戦いがベースとなるヒーロー作品において、まだまだこのように、奥深く面白いアプローチができる。『ドクター・ストレンジ』は、ヒーロー映画の可能性を、またひとつ押し広げるテーマを持った、個性光る一作である。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『ドクター・ストレンジ』
全国公開中
監督:スコット・デリクソン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、ティルダ・スウィントン、レイチェル・マクアダムス、キウェテル・イジョフォー、マッツ・ミケルセン
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2017MARVEL
公式サイト:Marvel-japan.jp/Dr-strange