J・G・レヴィット演じる“スノーデン”の造形は正解だったのか? 結城秀勇の『スノーデン』評
エドワード・スノーデンという人物に対する日本国内の一般認識がどのようなものであるのかはよくわからない。アメリカ国家安全保障局(NSA)の無差別的な個人情報収集を告発し、情報社会における危険を世に知らしめた存在として知られているのだろうか。監視社会における自由と勇気を問う存在として? あるいはバラク・オバマの発言通り「ただのハッカー」としてなのだろうか。それともそもそも一般には知られてない人物なのだろうか。
当然のことながら『スノーデン』という映画において、ジョゼフ・ゴードン=レヴィットによって演じられるエドワード・スノーデンは、ある種のヒーローとして描かれている。……描かれてはいるのだが、若くしてCIAやNSA及び提携先軍需企業の職員やコンサルタントなどを歴任したという華々しい経歴からついつい想像したくなるような、ジェームズ・ボンド的あるいはイーサン・ハント的なスパイ・ヒーローとしてではない。国境を跨ぎ、敵味方の境目を横断し、縦横無尽な活躍を見せる、なんていう機会はスノーデンにはやってこない。あくまで彼は巨大組織の一構成員、一介のエンジニアに過ぎない。
2001年9月11日の事件に衝撃を受け、2003年のイラク派兵を受けて陸軍特殊部隊への入隊を志願。しかし過酷なトレーニングで知らぬ間に両脚を疲労骨折していて、二段ベッドから飛び降りた途端床から起きれなくなるというエピソードは、本人にとっては笑いごとではなかろうが、なんとも情けない。
また出会い系サイト(?)を通じて知り合った女の子と初めてワシントンD.C.で出会う場面でも、「どこで働いてるの?」「国務省だよ」「ウソがヘタね」と一瞬で見抜かれる。ハーフリムの眼鏡、ダボダボのパンツにバックパック。ジョセフ・ゴードン=レヴィットが演じるスノーデンは、どれだけ優れたエンジニアリングの知識と才能を持っているにしても(いや、むしろそれゆえに、と言うべきか)、スクリーンの向こうのスマートなスパイのイメージとはかけ離れた、てんかん持ちのナードな兄ちゃんなのである。
その点においてのみ、この映画におけるスノーデンはヒーローたりうる。生真面目な保守派であったがゆえにCIAやNSAで「国を守る」仕事に就くことができ、その生真面目さゆえに点数稼ぎのために汚い工作をする仕事に耐え切れず、それでもまだ生真面目が残っていてオバマに期待を寄せては、また生真面目ゆえに幻滅する。
シニカルさを一切欠いた、平々凡々とした真面目な青年だからこそ、ある日突然安定した生活と将来をすべて投げ打って、世界を震撼させる暴露行為に至る。多少大げさに言うならば、握っている情報のスケールが桁外れにデカいというだけで、我々ただの民間人だってその意志さえあれば似たようなことはできそうだなと思わせるキャラクター。
その凡庸な人間としてのスノーデンを(しつこいようだが、あくまでこの映画でジョゼフ・ゴードン=レヴィットによって演じられるスノーデンを)そこまで追い詰めたのは、おそらく恐怖である。しかしそれは巨大権力の完全無欠さを前にした恐れというよりも、巨大権力のあまりのずさんさや気まぐれに対して心底うんざりした、と言った方が近いのではないか。
自分がかつて構築したシステムは間違った目的で運用され、しかもそれで効果をあげていると褒められる。かつての教官であるCIAの大物は、お前のことならなんでも知っているぞと脅すために、恋人が浮気していそうでしてなかった、というどうでもいいメールの内容を伝えてくる。スノーデンがたった一度、CIAの法規に逆らって監視システムを私的に不正利用するのは、恋人が出会い系サイトで他の男とコンタクトをとっているのを調べるためだ。その気になれば世界中のあらゆる人間の情報を手にできるという力の、このあまりにずさんで気まぐれな行使。もちろん、だからそれを恐れるに足らないと言うのではない。むしろそれは完全無欠な運用よりもなお、恐ろしい。